移動の自由:土佐勤王党というリンクされなかったサイト

生誕170年記念、龍馬の銅像が完成 霊山歴史館 特別展で公開(京都新聞)
京都市東山区の霊山歴史館が10月の坂本龍馬生誕170年記念の展覧会で公開する龍馬の銅像が完成、28日に公開された。」

憲法の22条第1項をご覧下さい。

第22条

「何人も,公共の福祉に反しない限り,居住,移転及び職業選択の自由を有する。」

ペリーの黒船が横浜に現れて威嚇をするようになると、江戸幕府はこれに負けて日米和親条約を結び、鎖国を解きました。

(*幕府とは今で言う政府とは異なり、直接的な武力を背景に各地の大名を統率していた、一種の軍事政権のことです。)

坂本龍馬は27才のとき、武市半平太の結成した土佐勤王党に加盟していますが、土佐勤王党とは、土佐藩郷士を中心に江戸で結成された約200人の尊皇攘夷のためのグループです。

しかし土佐藩政治責任者、吉田東洋を暗殺するという土佐勤王党の企てに賛成できず、龍馬は脱藩してしまいます。

(*脱藩とは日本の中の小さな国同然であった、藩という地方自治組織を、許可なく無断で離脱することです。)

ここで坂本龍馬は一種の無国籍的立場となり、土佐に留まる土佐勤王党の面々とは行動様式で一線を画することになりました。

やがて天皇自らにうとまれた尊王攘夷派たる土佐勤王党は捕らえられ、武市半平太切腹させられます。

反して坂本龍馬はその後、幕府に対抗するためにどうしても必要だった薩摩藩長州藩の同盟のため尽力し、これに成功しています。

土佐に行動の本籍をおかず、江戸、浦賀、京、大坂、長崎などなど一生をはげしく国内を移動して回った彼の人生は、33才で暗殺されて終わりますが、死の直前、薩長の橋渡しという大役を終えると、妻お龍の手を引いて大阪から鹿児島まで船で一ヶ月間の旅をやはり楽しんでいます。

現在の憲法、22条1項に保障される移動の自由は、表現の自由とも密接な関連をもっています。

移動の自由が抑圧されれば、人が差し向かって行う意思伝達ができなくなりますし、集会や結社・集団行動なども制約されてしまいます。

居住・移転の自由は、人の活動領域を広げることで自由な人間交渉の場を与え、個人の人格形成に寄与するという大変重要な意義を有しているものです。(出典:全訂 憲法学教室 浦部法穂

身分なき若者、坂本龍馬という触媒と、その触媒による化学反応を大きくしたのも、彼が脱藩という法を犯してまでも得たこの現憲法22条1項にいう「移動の自由」でした。

坂本龍馬にあって土佐勤王党になかったもの、それは現代憲法の重視する「移動の自由」の恩恵だったと一面でいえるのです。

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