電車男とコマーシャルメディアの威迫

私の近くの「電車男」(読売新聞)
「オタクの純愛を描く「電車男」(フジテレビ系)が好評。このドラマで気になるのが、主役の「エルメス」(伊東美咲)に恋する「電車男」(伊藤淳史)をはじめとするアキバ系。」

特定商取法の6条3項をご覧下さい。

特定商取引に関する法律

第6条(禁止行為)

「3 販売業者又は役務提供事業者は、訪問販売に係る売買契約若しくは役務提供契約を締結させ、又は訪問販売に係る売買契約若しくは役務提供契約の申込みの撤回若しくは解除を妨げるため、人を威迫して困惑させてはならない。」

自己イメージとは元来、自分の周辺の個人的関係を持っている人々から得られるものでした。

それは今思えば非常に健全な自尊心の構築方法だったといえます。

TVが発明されると、私たちは無料で楽しい番組を見るために、スポンサーのCMを見るハメになりました。

そればかりかTV番組の内容自体、スポンサーのご機嫌がよりよくなるよう、勢い製品のイメージアップを図るという意図には逆らえなくなっていきます。

そしてその光る箱はあまりにも圧倒的に面白かったため、私たちは仕事から疲れて帰ると緊張を解くために競うようにそのメッセージを自分から受け取ります。

そしてCMや番組がより私たちの耳目を引くためには、そこに出てくる人達が美しく、人生の勝利者でなければなりません。

ウィルソン・ブライアン・キーは「メディア・レイプ」という本のなかでそうした人達を「ビューティフル・ピープル」と呼んでいます。

そして八頭身の異常に美しい男女や、社会的成功者などのビューティフル・ピープルは、一般人に日々劣等感を埋め込むという効果をもたらします。

私たちは彼らの向こう側に私たちが未だ見たことのない金銭的余裕や人脈や約束された未来を透視し、その番組のスポンサーであるヘアケア用品やお酒や口紅さえ購入すれば、私にもその切符の端くれが与えられるに違いないという枯渇感を植え付けられます。

私たちは今日も一日、なんとか大きな災難にあわないよう祈るように課された仕事をこなして帰宅しますが、ビューティフルピープルはそういった心配の一切ない世界に住んでいるように見えるのです。

そしてその上、私たちは彼らを眺め続けさせられるうち、自分以外の全ての人達が、なんだか安定した成功を入手しはじめているような錯覚に陥り始めます。

その植え付けられた気分を更になぐさめるために、TV番組のスポンサーの商品を買うという仕掛けられた堂々巡りは、20世紀が建築した資本主義最大のモスクだとさえ言えます。

そしてその効果として、切符(商品)を買っただけで、すっかり安心してしまい自分の時間を創造する行為をやめてしまうのです。

電車男」は、ビューティフル・ピープルとは真逆で不器用な人達が主役になっており、そこだけ見ればTV局はコマーシャルメディアとして視聴者を商品購買行動に走らせる威迫を放棄したかのように見える珍しいドラマです。

しかし彼らを際だたせるために目も覚めるような美男美女の家族が対照的に描かれており、ビューティフルピープルの効果は私たちの意識の底に逆説的に浸透することになります。

私たちはいつも一度ヘコまされた上で、改めて挙手をさせられているといえるのです。

さて、特定商取引に関する法律の6条3項は販売業者が契約させるために人を威迫して困惑させる行為を禁じており、これに反すれば70条により、2年以下の懲役又は300万円以下の罰金が科せられます。

もちろんテレビ番組が直接特定商取引に関する法律の構成要件に該当するはずもありません。

しかし、特定商取法という法律は、消費者という存在がいつも精神を操作されて「自分が決定したのだ」と思いこみフラフラと不要な商品を購入してしまう危険性をもっているのだという点を憂慮したものです。

その立法趣旨から鑑みれば、TVのスイッチを入れることで私たちはTVのスポンサーをリビングに自ら訪問させ、「実在しない完全なビューティフル・ピープル」というイメージによる威迫を24時間受けているのだと言い換えることも可能です。

少なくともそういうことを少し意識しておくのは、法学を超えて精神医学上に大切な意味を見いだすことがきます。

多くの神経症が、TVのスイッチを切ることで自然治癒していく可能性が十分にあるからです。

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