杉村太蔵さんの当選が内包している期待

びっくり「僕が当選?」朝日新聞
「タイゾウが衆院議員になった!」。12日未明、比例南関東ブロックの自民名簿35位の杉村太蔵氏(26)=東京都港区=が当選すると、一緒に戦ってきた長崎幸太郎氏の事務所は歓声に包まれた。党最年少での当選だった。」

公職選挙法の4条1項をご覧下さい。

第4条(議員の定数)

衆議院議員の定数は、480人とし、そのうち、300人を小選挙区選出議員、180人を比例代表選出議員とする。」

衆議院の定員は480人、参議院の定員は同じ4条の2項で242人とされています。

もともと私たちの代表者の、国会の椅子の座り方に衆院と参院の二種類があるのは、憲法の42条に定められています。

その二院制というルールは、出自の違った人達で決議をよくよく検討して欲しいという趣旨のものです。

私たちが戦争に負けるまでの憲法では、衆議院とは国民が選ぶ人達、貴族院とは皇族や華族など血統の「エライ人達」のことで、その時代の二院制は特権階級を保護することに役立つ形でした。

また米国では下院が国民の選ぶ人達、、上院が州の代表者ということになっています。

戦争に負けた後の憲法では、衆院も参院も選挙で私たちが選ぶので、選挙の方法や任期など微妙な違いしかないためよくわからない感がつきまといます。

ただ国のルールを決める部屋が一つの集団しかないのはいかにも危険です。

また、違う時期に違う任期で集められる衆院と参院という集団は、「きのうのあなた」による選出された代表と「今日のあなた」によって選出された代表が、一つの懸案をいっしょに検討することになるため、より冷静な判断を下せるようになると考えられています。

(昨夜あんなに欲しかったショウウインドウのブランドバッグ、今朝出勤途中に眺めてみたら別になくても困らない気がついたという経験がありませんか?)

二院制は私たちの社会意識が時間的要素とともに成長し、社会状況も変化するという宿命を国政に反映させようとするものです。

それは国民が国会を操作しようとするときのロボットアームで、形とスピードが違う右の手と左の手です(私見)。

杉村さんは自民党ホームページで候補者公募の論文募集を知り、締め切り直前だったのでいそいで応募したのだとか。

今回の自民圧勝は、比例名簿制度によって思わぬ人の衆院登用という波紋を呼んでいるようですが、これもまたほかでもないわたしとあなたの決めたルール通りに事が進んでいることの証しです。

(民主主義という不完全なシステムを運営するためには、意見を表明しなかったことも「民主決定に従属する」と意見表明したこととする必要があります。)

どのような人が選ばれようとも、それは現在の私たちが選択した方式によるものであり、そうであるならば選出された人材はきっと、現在のわたしたちが期待する要素を含んだ人にちがいありません。

法理メール?