マタギ、その作法と哲学

マタギが1発で仕留める 青森で収穫中の畑にクマ (Yahoo)
「本田さんは東北地方などの伝統的猟師「マタギ」で狩猟歴約30年。秋田県大館市の射撃場に向かう途中だった。弘前署などによると、クマは5歳ぐらいの雄のツキノワグマで、体長は約1メートル、体重約120キロ。クマが約15メートルまで近づき、立ち上がったところを、鼻の上を狙って1発撃ったという。」

鳥獣保護法の第4条をご覧下さい。

鳥獣の保護及び狩猟の適正化に関する法律

第4条(鳥獣保護事業計画)
都道府県知事は、基本指針に即して、当該都道府県知事が行う鳥獣保護事業の実施に関する計画を定めるものとする。」 

若い人はご存じないかもしれませんが、マタギとは日本の山村に古くからある狩猟で生活する方々のことです。

その多くは農家と兼業であったともいわれますが、銃を担いで独特の風習を守りながら山の中の熊を射止めます。

鳥獣保護法のルーツは明治6年の「鳥獣猟規則」にさかのぼりその時点では狩人の危険防止が図られたものでしか有りませんでした。

しかしその後、日本が大幅に産業発展を遂げると鳥獣が減少してきたため、改正による狩猟の規制が重ねられ、現在は世界の潮流を受けてより自然動物の保護を強化した内容の法律となっており、その典型条文が第4条の鳥獣保護事業計画です。

西洋の鳥獣保護とスポーツハンティングというとても人間に都合良く切り分けられた思想と、マタギなど東洋の鳥獣の命を狩る人達の覚悟の間にはどんな違いがあるのでしょう。

手元にある「狩猟―狩の民俗と山の動物誌」という書籍のなかで小林増巳さんというマタギがかたったところによれば、『昨今では、江戸時代以来の伝統的な狩猟慣習は全く影をひそめ、狩猟仲間の掟や山猟の禁忌などを知るハンターはほとんどいない。子供達は銃を嫌い、山猟殺生の悪癖は三代で終わりを告げることになった。山の神にゆるしを乞いながら、自然界から限られた手段で食糧を享受していた、つい五十年ほど前のことは遠い昔の語り草となってしまった。』と表現しています。

しかし現代の猟友会の方々も、マタギのように狩猟の場では御神酒や祝詞による魂送りを忘れないのだそうです。

情報が目の前の自然だけだった時代、人間が生きていくために雪山の熊と命を賭けて決闘をしたマタギたちの中では、その重さにおいて熊の命も自らの命も同じだったにちがいありません。

そのため多くのマタギが命ある内に自らの判断で山の神に感謝を捧げつつ銃を置いて引退したといいます。

西洋合理主義の唱える自然保護思想が、人を自然の管理者と位置づけている点でそこが決定的に異なります。

今回のニュースで、通りがかった本田さんが一発で熊を倒した技量も、殺生の重みを知りつつ生きてゆくため引き金を引くマタギならではの作法のひとつです。

法理メール?