国民審査というマッチと、ファッショというマッチ箱

国民審査も告示 最高裁の6裁判官(朝日新聞)
最高裁判所裁判官の国民審査が30日、中央選挙管理会から告示された。総選挙と同じ9月11日に投票される。」

憲法の79条2項をご覧下さい。

最高裁判所の裁判官の任命は,その任命後初めて行はれる衆議院議員総選挙の際国民の審査に付し,その後10年を経過した後初めて行はれる衆議院議員総選挙の際更に審査に付し,その後も同様とする。」 

さあ、9月11日には非常に珍しい最高裁判所裁判官の国民審査という直接民主制のドアが開きます。

国民審査とは、一言でいえば私たち自身が、最高裁判所の裁判官を直接クビを切る機会が与えられるということです。

なぜこうした制度が設けられているのかを、順を追っていっしょに考えてみましょう。

まず裁判所は人権の最後の砦といわれますが、それはとりもなおさず、その本旨が時代の権力の監査にあることを表現しています。

そして最高裁判所は司法を統括して事実上指揮するため、司法の頂点にあり、ここにある15の椅子に座ることを許された人たちは、見方によっては非常に危険なコントロールバーを握ることを許されているといえます。

権力を監査する権力も、また権力なのです。

そこでわたしやあなたにしてみれば、国家の権力を監査する最高裁判所の椅子には、是非わたしたちを踏みにじらない人たちに座ってもらう必要があります。

ただしこれを情報を全て開示されていない、忙しい私たちの気まぐれな機嫌で選んでいたのでは、この国を再び全体主義の戦火に連れて行ってしまう可能性があります。

そこで現在のシステムでは、わたしたちはまず選挙で議員を選び、続いてその議員が決議で総理を選び、総理は内閣を組織して、その内閣が最高裁判所の判事を任命することになっています。

つまりわたしたちの民意は多段的にプロクシーを通され、国の監査権力を直情型で選ばないように安全弁が設置されているというわけです。

ただここに一つ問題があります。

結局の所、最終的に最高裁のメンバーを任命するのが、内閣という、国の操縦席に座る少数のパイロット達だということです。

間接の間接で最高裁のメンバーを選ぶということは、プロクシーも多段に過ぎると民意は薄れ、結局何のことはない、与党の意向には逆らえない司法軍団ができあがる危険性を孕んでいるのです。

そこで!この問題を事後的に解決するため、わたしやあなたには10年に一回、内閣が任命した最高裁裁判官を直接クビにする権利が与えられているというわけです(解職制説 判例・通説)。

ただこの国家というジャンボジェットにとっての逆噴射ともいうべき国民審査制、まったく問題のない健全な機能だとも言い切れません。

もし、国民の中で一大勢力を誇る特定団体に対して不利な最高裁判決を下した裁判官が、その特定団体による組織票によってバンバンクビにされる自体が起き始めたならば、国家の権力の操縦桿は結局の所、その勢力が握ることになるからです。

直接民主制という目もくらむ程魅力的な火花を飛ばすマッチ棒も、取り扱いを間違えればマッチ箱全体を炎に包む危険を孕んでいます(私見)。

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