ブラフだったピアノマンとラベリング理論

「沈黙のピアニスト」芝居だった? 英紙報道(朝日新聞)
「男性はかつて精神障害者とともに仕事をしたことがあり、医師らをだまそうとして障害者のまねをしたらしい。」

精神保健及び精神障害者福祉に関する法律の第一条をご覧下さい。

第1条(この法律の目的)

「この法律は、精神障害者の医療及び保護を行い、その社会復帰の促進及びその自立と社会経済活動への参加の促進のために必要な援助を行い、並びにその発生の予防その他国民の精神的健康の保持及び増進に努めることによつて、精神障害者福祉の増進及び国民の精神保健の向上を図ることを目的とする。」

社会がもし、一人のマリファナ中毒でない男を「彼はマリファナ中毒者だ」と断言すると、本人はその社会的ステッカードによってどんどんマリファナを摂取しやすい環境に無意識に歩み寄っていくようになり、とうとう最後には社会の予言どおり一流のマリファナ患者となってしまいます。

これを「ベッカーのラベリング理論」といいます。

また心理学者デヴィッド・ローゼンハンの面白い社会実験報告もあります。

彼は、かつて精神病院に何人かの偽の精神病患者を入院させようとしていました。

そこでその情報を事前に察知した看護人、看護婦、精神科医、内科医、心理学者を含む各職員が、193名の患者を再評定したところ、「このうち41人は偽の患者だ!」とはっきりと断言しました。

しかし実はローゼンハンの真の実験は偽の情報を流すことであり、たった一人の偽患者もローゼンハンは病院に送り込んでいなかったのです。

ウィルソン・ブライアン・キーは、このように権威が精神病でも記憶喪失でもない人たちにそのような病名を名付けてしまうようなものも含め、事実が概念を追いかける現象を自己充足的予言(SFP)と呼びました。

ラベリング、あるいはSFPと呼ばれるような社会作用は、精神病院の権威ある医師や職員たち、プロフェッショナルの面目を保つため、今日もこのわたしたちの国の精神病院で、いや、国家行政を含め大小あらゆる権威の下で実行されつづけています。

確かにそれは限られた寿命のなかで大量の雑務をこなす必要のあるわたしたちには、それは有る程度さけられない手法ではあります。

しかし「精神保健及び精神障害者福祉に関する法律」の立法目的は、国民自身の精神保健の向上にあると1条に書かれており、それをよくよく読み込めば、憲法13条、「個人の尊厳」という本店に対する、支店であるといえます。

すなわちそれは決して社会側からの利便(SFP)の論理などではなく、むしろわたしたち一人一人に常に口を開けて待ちかまえている精神の危険に対し手当されるという個人的視座から開始される”べき”、法的救済措置であるはずなのです(私見)。

ピアノマンと呼ばれた男性は、テロへの憂慮のなか、ますます全体による個人の管理化を進めるイギリスで、権威あるはずの医療制度をまんまと騙しつづけて、祖国に帰りました。

英国国家がピアノマンに医療費を賠償請求をするのも自由ですが、むしろラベリングという作用のもつ危険性への警告として食むほうが、経験として一つの貴重な国家財産になるはずです。
 

法理メール?