協議離婚という神から自由な条文

杉田かおる:離婚で大誤算!禁煙ポスター(毎日新聞)

「杉田が登場しているのは財団法人「結核予防会(JATA)」のポスター。ピンクのセーターを着た杉田がほほ笑み「セレブは、吸わない。」「“禁煙”で勝ち組になりましょうよ。」と、杉田が前面に出してきた「セレブ」「勝ち組」のキーワードが躍っている。」

マタイによる福音書の19章6節をご覧下さい。

The Gospel According to MATTHEW

「So that they are no more two, but one flesh. What therefore God has joined together, don't let man tear apart.」

(私訳)

「故に彼らは二つではなく、もともと一つなのだ。神がそうとしたものを、人がごときが離してはならない。」 

西洋人にとって聖書は時代で移り変わる法律書以上に絶対指導書的地位にあるといいます。

中でも新約聖書に含まれるマタイ福音書には以上のような記述があり、この神との契約を重視したヨーロッパでは長く実態を別として、法律が離婚を認めることはありませんでした。

欧米の法が神との契約という観念から自由になりはじめ、夫婦の自由な離婚を改正で認めはじめたのは、わずか三十数年前からです。

この点、私を含め宗教に全く興味のない平均的日本人の作る法律では、離婚は比較的自由に認められてきました。

日本の離婚という観念は、西洋法と違い神に睨まれてはこなかったのです。

主にそれは協議離婚なのか、それとも裁判離婚なのかという手続き面だけの改正を繰り返してきた日本の離婚に関する法律は、かつて女性の視点からは至らない面があったとしても、より本質的には欧米法よりも柔らかく幸福でした。

言葉を尽くして外部に対する自我を守ろうとしたタレントさんは、同じ言葉によって内部の幸福を破壊してしまいました。

しかしそもそも協議で離婚ができるというシステムの中に、私たちは自由を行使できているのだという構造をはっきりと見なければなりません。

タレントさんは彼女自身の言葉で、一体誰に、何を証明しようとしていたのかを一旦静かに観ておく必要があります。

神と契約しない私たちの民法763条〔協議上の離婚〕は、タレントさんにそのための自由な時間を与えることに成功しています。
 

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