韓流ブームが融和する日韓併合条約の遺恨

キム・ヒソン、中山美穂と共演熱望(goo映画)

「韓流ブームについて「こんなに長く続くと思わなかったです」と驚きながら「これから日本に来る機会が増えるかもしれません」と笑顔を見せた。」

韓国併合条約の第1条をご覧下さい。

韓国併合ニ関スル条約

第一条 

「韓国皇帝陛下は韓国全部に関する一切の統治権を完全且永久に日本国皇帝陛下に譲与す」

わたしたちの住む、弓なりの島に向かっては、中国やロシアという列強があるアジア大陸から、ちょうど朝鮮半島が指さすように突き出ています。

このためかつての私たちの国は、朝鮮半島が中国やロシアになってしまうことは、日本が背中から銃を突きつけられているようなものだと考えました。

そこで朝鮮半島をめぐって日本と中国、ロシアで戦争が行われ、それが終わった1910年、私たちの国はお隣の国と日韓併合条約を締結、朝鮮半島は日本の一部であることになりました。

しかしそれは条約(国家間の合意)と呼ぶにはあまりにも一方的な内容であったため、1945年に私たちが戦争に負けるとすぐ無効であることが宣言されています。

そしてこの日本に朝鮮半島を35年間併合させた、日本語にしてたった39文字の日韓併合条約第一条が、戦後に生まれた私たちにもさまざまな禍根を今もつきつけてしまっています。

そこには不幸な出来事と互いの拭いがたい認識のすれ違いが重なっており、もはや終わってしまった先代の戦争を呆然と見つめるしかない世代には、この問題をこじらせることはあっても解決することは不可能なのではないかとさえ誰もが思いこんでいました。

しかし近年、韓国のTVや映画に乗って韓国のいい男やいい女がさっそうと現れ、日本の婦女子を虜にするという事態が起こりました。

鼻で笑っていた男性陣も、韓国の緊張感に満ちた優れた映画を前に目を奪われ、かつて誰も提示しなかったようなスマートなアイディアで、両国の間に横たわる少なくとも感情レベルでの行き違いをゆっくり融解させようとしています。

私たちが日本人に生まれてきたことさえ偶然でしかありませんし、朝鮮半島にも過激な人たちばかりでなく、私たちとそっくり同じような考えを今日もハングル語でタイプしている人たちがいるかもしれません。

歴史問題という私たちのあずかり知らない時代に起きた鎧を先人に身につけさせられるまでは、どちらに生まれようが色のない命をもって生まれてきた一個の人間にすぎなかったはずなのですから。 
 

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