ジンギスカンキャラメルと甘いものを口に含む自由

まずいけど、なぜか売れる ジンギスカンキャラメル
「つい顔をしかめたくなるニンニクの味。「たいていの辛いことは忘れられます」(担当者)。 」

製菓衛生師法の第一条をご覧下さい。

第1条 

この法律は、製菓衛生師の資格を定めることにより菓子製造業に従事する者の資質を向上させ、もつて公衆衛生の向上及び増進に寄与することを目的とする。

私たちの国がかつて世界と殺し合いをしていた60年前、砂糖は貴重な食材になった為国による統制下にあり、食べることもままならなかった終戦前後にはお菓子は全く製造できなかったといいます。

戦争が終わったちょうど60年前の8月15日以降、食糧事情は徐々に改善されはじめ、その日から4年経つとまずブドウ糖が統制されなくなり、また7年たってやっと砂糖も統制されなくなりました。

子供達は大人が空から爆弾を降らせなくなって7年後、やっとその幼い口にキャラメルを放り込む楽しみを許されたのです。

戦争が終わって26年経つと、チョコレートやビスケットなどの貿易が自由化され、それまで日本の子供達が見ることが出来なかった外国のお菓子もスーパーに並ぶことになりました。

つまり法律は砂糖製品の管理を、戦後の修復とともに徐々に解放してきたといえます。

いよいよお菓子は大量消費時代を迎え、外国製品との競争のなかで、食品添加物の使用も急増し、それにともなってお菓子の製造にたずさわる人の責任も大きくなってきました。

そういった時勢を受けて1966年に、衛生法規、公衆衛生学、食品学、食品衛生学、栄養学、製菓理論、製菓実技の7科目を履修した人材を育成するため、製菓衛生師法が制定されました(1条)。

このことは”甘さの自由”が最終段階に入ったことに対して、国民の健康を考慮することができるようになった国家が製造者に課した一定程度の重石であるといえます。

今や私たちはマズさをシャレで楽しむためだけにキャラメルを購入する自由さえ手に入れました。

そして私たちがマズいお菓子を食べる自由までたどり着くには、広島と長崎の街が吹き飛ばされ子供達が水を求めて次々川に飛び込んだ日からちょうど60年間かかっています。
 

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