徒弟の幸福は徒弟だけが知る

巨人 涙の弔辞「天国でも弟子」
「26日に死去した元吉本新喜劇岡八朗さん(本名市岡輝夫=いちおか・てるお=享年67)の葬儀・告別式が28日、兵庫県尼崎市で営まれた。弟子で漫才師のオール巨人(53)は「天国でも弟子として尽くさせてください…」と涙、涙の弔辞。“奥目の八ちゃん”は、亡き妻と長男の待つ次の“舞台”へと旅立った。」

労働基準法の69条をご覧下さい。

第69条(徒弟の弊害排除)

「使用者は、徒弟、見習、養成工その他名称の如何を問わず、技能の習得を目的とする者であることを理由として、労働者を酷使してはならない。
②使用者は、技能の習得を目的とする労働者を家事その他技能の習得に関係のない作業に従事させてはならない。」

労働基準法69条は戦前の徒弟の弊害を排除するために定められたものです。

徒弟とは師匠として師事する人の下に弟子入りし、業務とは直接関わりのない師匠の身の回りの世話などしながら師匠の全てを観察し、徐々に師匠が身につけている業務に関する仕事やその勘所、目の付け方を弟子が学んでいくものです(私的定義)。

それはなんのとっかかりももたない一人の若者にとって、本質的には幸福な制度ではありますが、一面いったんそれを師匠の側がシステムとして悪用しはじめれば尽くすだけ尽くした弟子のもとにはなにも残らなかったという事態にも陥りかねません。

そこで戦後の新憲法18条にいう「何人も、いかなる奴隷的拘束も受けない」の精神を継受した労働基準法が、師匠の取り方次第で幸福にも不幸にもなってしまう徒弟制度というものの存在を、基本的には否定しています。

しかし労働基準法69条の存在にもかかわらず徒弟というこのシステムは教授と学生、起業家と鞄持ち、果てはクラブDJとその弟子などにいまだ脈々と残されています。

弟子が労働基準法の保護の外で生きることを覚悟するなら、徒弟という一見非常に不合理な制度はあらゆる芸に換価できない土台をつけます。

「完全にオリジナルな表現」などというものがいつの時代も幻想で敷かない以上、どのような分野でも自己流という翼ではすぐに波間に沈んでしまいます。

私のように関西で育った子供なら誰でも知ってるあたたかい天才芸人、岡八郎さんはお亡くなりになりました。

しかし彼の下で徒弟に入るというカタパルトは、オール阪神・巨人さんという芸人をより高く、より遠くまでとばす推進力を蓄積させることに成功しています。

そしてそれこそが徒弟制度の本望なのです。
 

 
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