文学と世界の再解釈のための体

ハリポタ最新刊:発売前に「流出」ネット書店が少数冊配達毎日新聞

「最新刊をめぐっては、発売前から世界のファンが過熱。英国では倉庫に保管中の新刊が盗まれる騒ぎがあったほか、カナダの一部書店でも先週、少部数が発売されているのが分かり、地元裁判所が購入者にあらすじの公開禁止を命令したという。」

著作権法の27条をご覧下さい。

第27条(翻訳権、翻案権等) 

「著作者は、その著作物を翻訳し、編曲し、若しくは変形し、又は脚色し、映画化し、その他翻案する権利を専有する。」 

翻訳することや、脚色、または映画化することは、著作権の支分権として法の下に保護されています。

これを翻案権と呼び、物語のあらすじをまとめることもこの翻案権に所属しています。

したがって作者以外の人が勝手に物語のあらすじを公表してしまえば、日本国内では著作権法27条に抵触する疑いが極めて濃くなります。

すばらしいお話は、たとえあらすじだけ聞いても著者固有のアイディアに基づく感動を憶えることが可能だからです。

本を書くという作業をただ外形的に眺めれば、英語の場合26文字のアルファベットをただただ羅列して組み合わせているだけです。

しかし一旦、その組み合わせ方が世界中から熱狂的に受け入れられれば、ハリーポッターのような連作は、その新しい羅列の組み合わせを世界中で待ちわびている事態になります。

私たちが誰かの書いた書物を読んだり、誰かの作った音楽を聴いたり、また誰かの監督した映画を見たりしているときには、いつも自分なりの方法だけに頼って解釈して暮らしている世界というものを、著作者による斬新な解体・構成方法で再体験しています。

そしてそのことで自分が平均80年という時間限定で居留しているこの世界の意義を再発見し、更に世界を解釈する人間という機構そのものの意義を唐突に了解して涙したりしています。

著作権や、その支分権である翻案権に守られた、著作者に対して与えられる正当な報酬は、本質的には、著者が「世界という糸」をオリジナルな織り方で編み上げた反物に対して支払われる、私たち同族(人間)からの敬意であるといえます。

そしてその反物は著作者が世界からいなくなった後も、人と世界の関係をずっと暗示しつづけるように著作者の抜け殻のかたちを保ちつづけます。

確率論という学問によれば、チンパンジーにタイプライターを与えて偶然打ち出される文字の羅列が、シェークスピアの書いた戯曲と全く同じものになる可能性は決して、ゼロではないのだとか。

それが数学である以上、きっとそうなのかもしれません。

しかし私はいつまで待ってもその具体的実現はないのだと考えます。

なぜならば著作物を通して私たちが知りたいのは、「世界とは、つまり自分自身のことに他ならないのだ」ということであり、それを人間に知らせるための作品を編むには、やはり人間の体を通して世界の再解釈を行う必要があるはずだからです。
 

 
法理メール?