シオンの丘で虚無が待つ

「アル・カーイダ」名乗る正体不明の集団が犯行声明(Yahoo)

「欧州の聖戦アル・カーイダ組織を名乗る正体不明の集団が7日、ロンドンでの同時爆破テロを行ったとする犯行声明をウェブサイト上に流した。声明の信ぴょう性は不明だが、英国によるイラクアフガニスタンでの虐殺への回答として、十字軍的でシオニストの英政府に報復した、などと主張している。」

日本国憲法の20条1項をご覧下さい。

第20条〔信教の自由〕

「1 信教の自由は,何人に対してもこれを保障する。いかなる宗教団体も,国から特権を受け,又は政治上の権力を行使してはならない。」

十一世紀後半、教会や修道院の堕落をただす運動のため、ローマ教皇グレゴリウス七世は、聖職者身分の売買を禁止、これを任命するのは自分以外にはないと宣言しました。

これを聞いて頭に来たのが皇帝、ハインリッヒ四世で、「聖職者を決めるのは自分である!」と国に向けて再宣言しました。

するとキリスト教会はなんと皇帝を破門、皇帝はキリスト教徒である家臣たちから、一年以内に破門が解けない時は王位を剥奪すると迫られました。

このため皇帝は、グレゴリウス七世の滞在していたカノッサ城で、許しを乞うため三日間雪の中に裸足で立ちつくしました。

これが世に言う「カノッサの屈辱」で、皇帝を屈服させるほどに、当時の宗教の総本山の力は強大でした。

一方、そのころキリスト教の聖地エルサレムは、イスラム教徒の帝国、セルジューク・トルコの支配下にあり、エルサレムからユダヤ教徒キリスト教徒は追い払われていました。

イスラム勢力の台頭を許せなかった教会は、その強大な力をもって信者達にエルサレム奪還を呼びかけ、これを受けた信者達は胸に十字の印をつけイスラムを殲滅せんがため、東ローマ帝国のコンスタンチノーブルに集結しました。

これが宗教のための初めての大軍隊、十字軍の始まりです。

イスラエルはその後一旦イスラムの手に落ちますが、その時点で攻撃的シオニズム(聖地回帰主義)の芽が埋められたといえます。

約900年前から続くそのパワーゲームは、現在では「占領とテロル」の応酬に形を変えています。

十字軍はその歴史の中で、イスラム軍と聖地エルサレムをめぐって約200年間一進一退を繰り返しますが、途中ベニスの商人によるスポンサードが必要だったため、ついには商人が欲しがった港のために、友軍であるはずの東ローマ帝国まで牙を剥き攻め落としてしまいます。

どのような大義名分があっても、戦争が結局のところ力比べでしかないことがこの時すでにあきらかになっています。

根底に宗教問題があるとき人は一歩も引かなくなりますので、日本国憲法でも、むしろ個々人がそこを譲らないことを国家に利用されて、国民が特定方向に誘導されないように、いわば内部的安全保障の意味を込めて信教の自由を保障しています(私見)。

しかし法律が私たちの譲れない場所を保護してくれているからという理由だけで、深い観察を抜きに精神的に一つの場所に留まる態度には、古くから危険がつきまといます。

その人間の心の頑なな装置が利用されて、一旦火薬が詰め込まれると、世界の殺し合いの歴史は、十字軍を利用したベニスの商人のような人達のために再び動き始めるからです。

ゲルマン民族のなかでもっとも殺しの上手かったメロビング家のクロービスが教会から殺戮の許可(聖なる戦い)を受けヨーロッパ諸国の基礎を作り、海賊の首領ロロの末裔がイギリス初代の国王になってきたのも紛れもない世界の歴史、つまり勝利者の歴史です。

テロルが悪でも大義名分のある戦争は本当に善なのか、私たちにはここで世界の歴史を誠実に振り返る態度が要求されています。
 

 
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