取締役会:富の滞留する場所

株主総会:長時間総会の企業目立つ 厳しい質問相次ぎ毎日新聞
ライブドアによるニッポン放送買収劇で揺れた「フジテレビ」(東京都港区)は、江東区内で株主総会を開いた。港区の無職、牧口嘉光さん(64)は「株価は購入時の3分の2程度になった。経営陣が責任を取らないのは納得がいかない」と日枝久会長らを批判。」

商法の230条の10をご覧下さい。

第230条の10〔総会の権限〕

「総会は本法又は定款に定むる事項に限り決議を為すことを得」

株主は昭和25年以前とそれ以降ではどちらが強かったでしょうか?

なんだか古い法律のほうが一般人は弱い立場にいそうですが、実際には昭和25年以前、株主総会は会社の最高の機関で、かつ万能の機関でもありました。

25年まではすなわち株主総会に歯止めをかける230の10のような規定がなく、株主総会に多数派工作を施せば、会社の行方を理論的には如何様にもできたのです。

株式会社というお金を集める発明品を、その素性通りに理解していけば、確かに株主が分割的オーナーであることは間違いないのですが、これではどう考えても、商人ではない一般人に株式会社という運営をめちゃめちゃにされかねません。

そこで昭和25年改正により株主総会の決議事項は、商法または定款で定められた事項に限定されることになりました。

株主総会は昭和25年以降、会社の最高の機関ではあり続けていますが、決して万能の機関ではなくなったのです。

ここで株主総会取締役会の立場が現実的に逆転したといえそうですが、商法学ではその理由を「株主には会社の経営について知識も経験もないから」と切り捨てることになっています。

株主とはキャピタルゲインだけを追及するあくまで通りすがりの外部の人間であると観念されているわけです。

そして希に存在する「会社事経営に関心がある」珍しい株主のために、法定事項以外にも定款で定めたことを総会の権限にすることができると株主総会にも多少の自由度が付与されたことになっています。

しかし私は個人的には、確かに完全自由度を株主総会に与えてしまえば会社がたち行かなくなる可能性はあるものの、商法の株主総会にかかる規定に関してはもう今少し株主に自由度を付与してもよいのではないかと現況を見て感じています。

現況とは、取締役会側が株主総会を完全にコントロールしている様です。

そのため今回のニュースにあるように、株主達は言いたいことがあるときは、総会後にビラまきをしなけばならないという不条理が株主総会で散見されることになります。

なによりも株式会社という発明品においては、株主とは、あまたある会社群のなかから自分の財産を殖やしてくれそうな事業を行っている会社を見抜き資金を投資する役割を果たす存在です。

そしてこの選定作業上で、実は株主にならんとする人は、会社経営者とほぼ同じ視点に立つことが正しい投資活動を行う為の第一原則で、投資を成功させるにはリタイアした人がファンド資金を任せっぱなしにする心理状態と真逆の自立した態度が要求されます。

そのために真面目に利益を追求しようとする人たちはバランスシートを学び、経営の基本を学びます。投資の世界では「なんなら一回自分で企業してみろ。株式投資はその目をもって行えば成功する確率が高くなる」とまでいわれています。

「ミッキーが大好きだからオリエンタルランドを応援!」という人たちばかりではありませんし、そのような株主像を前提にした法制度では、結局会社従業員のためばかりに収益が残るように株式会社は運営されていくに決まっています。

現に現在の株主総会はとにかく「荒れずに」閉会することが第一の目標になっており、担当する従業員はストップウオッチ片手に閉会最短記録を競う事態になっています。

東インド会社は、まず投資した貴族たちに莫大な富をもたらし、そしてそのことが結局イギリス経済を活性化させ、イギリスを世界の覇権国家にまで押し上げる結果を生みました。

そしてそもそも東インド会社とはそのために設立されたものであり、決して東インド会社そのものを大きくすることが目標ではなかったはずです。

お金が集まるところでは、本来支給されるべき人たちよりも、その資金を取り扱う事務方の生活の方がなぜかいつも潤沢になっていくという人間の社会の不思議な性質に、行政においても、株式会社においても十分注意して仕組みを作っていくことが肝要と思われます。
 

 
法理メール?