愛される6本足の子犬

マレーシア:6本足の子犬、幸運の使者と大歓迎毎日新聞
 
刑事訴訟法256条の6項をご覧下さい。

刑事訴訟法 第256条

「6 起訴状には、裁判官に事件につき予断を生ぜしめる虞のある書類その他の物を添附し、又はその内容を引用してはならない。」

人は自分と同じリズム、同じ潜在意識で生きる個体に非常に好意を抱く生き物です。

私たちは一日、その自我を自分の体の中に押し込めて生きることを強要されています。

安易に他人を信じれば食い物にされるシステムや、敗者に同情すればいっしょに不遇を受けさせられる競争システムが街のあちこちに口を開けて待っているからです。

そのためこの閉じこめられた自我を解放できる瞬間を見つけるやいなや、私たちは進んで同調し、一瞬でも多くその美酒の味を受け取ろうとします。

スポーツが苦手な私も、同じ日本人であることだけを手がかりに、ジーコジャパンを夜中まで必死になって応援しているのです。

反対に私たちは、私たちと違う潜在意識のリズムで生きる人たちに対して好意をもちませんし、普段自分の意見を最後まで聞いてもらった経験などほとんどない私たちは、その分自分と違った形の意見を耳に挟むと徹底的につぶしにかかります。

自分と同じ形の個体に同調、好意を持ち上に押し上げ、違う形の個体に反発、下に押し下げようとする人間の心理的機能は、社会的動物としての生存本能にあたかも突き動かされているかのようです。

刑事訴訟法256条6項には起訴状一本主義と呼ばれる方法論が記述されています。

私たちの国が戦争に負けるまで使っていた刑事訴訟法では、起訴状には警察官の意見書、検察官の聴取書などが添付されて裁判所に提出されていました。

このため人を罪人とし、あるいはこの疑いから解放する機能を持つ裁判所も、公判に先入観を持って入ってこられたのでは無実の人が有罪になる危険性が多分に存在していました。

そこで敗戦後の民主主義型、刑事訴訟法では、裁判所に一切の予定観念を持たせぬまま審理に臨むことを要請しているのです。

これを予断排除の原則と呼びます。

これにより裁判官は検察の意見から分離され検察にも起訴された人にも公平な立場でいられ、検察官も思う存分訴訟の一方当事者に徹することが可能になります。

この裁判所の一歩引いた態度を当事者主義と呼び、これが結果的にむやみな人権への侵害と真実の隠匿を防ぐと考えられています。

アメリカの陪審員制度の下で行われた調査では、外見のよい人たちは法律的に有利な結論を得やすく、魅力的外見を持つ被告が刑務所に入った数は、魅力的でない外見を持つ被告が刑務所に入った数のおよそ半数しかないとまでいわれています。

私たちはある面、情報の洪水の中、「予断を武器に生きるしかない80年」を与えられた個体なのです。

寺院の前に捨てられていた六本足の子犬の写真を見ると誰もがショックを受けます。

そして次の瞬間、その子犬のあどけない瞳に気がつき、自分の内面で、「理解」の前に自分を守る術として「同形同調の原則」「異形排除の原則」が働こうとしていたことに気がつきます。

人は恋人と眠りに入る瞬間に呼吸が同調し、自分と異なるリズムを受け入れ世界を広げます。

そしてその数分間が「理解」の別次元を見せているのです。
 

 
法理メール?