マイケルジャクソンを自由にした陪審員制度と特別警察の歴史

ジャクソンの評決への司法の反応(マイケル・ジャクソン被告に無罪評決) CNN

We look at what we think is what's right. You do the right things for the right reasons. If it doesn't work out, that's why we have a jury system. But we did the right thing for the right reasons.

(私的意訳)

「司法も正しいことを正しいと判断し、国民も正しいことのために正しいことをする。そして問題が解決しない時のためにこそ、陪審員制度が存在している。しかしいずれにせよ私たちは、正しい根拠に従って正しいことをしたまでだ。」

裁判員法の第8条をご覧下さい。

裁判員の参加する刑事裁判に関する法律

第8条

裁判員は、独立してその職権を行う。」

あなたが間違われて捕らわれたときに裁判というものが公正に行われ、正しく刑から解放されるためには、裁判を担当する裁判官があなたを好ましく思わない勢力からの干渉を受けず、公正無私の立場で職責を果たすことが重要なのはご想像頂けると思います。

このため日本の司法制度も極力外部権力の影響を受けないように設計されています。

これを司法権の独立と呼びます。

司法権の独立は裁判所が首相官邸や国会議事堂から指図を受けないという司法府そのものの場所的隔離も意味しますが、その本来の意味は裁判官一人一人が先輩裁判官からも指図を受けない建前のほうをさします。

これを裁判官の職権の独立といいます。

憲法76条3項において、「すべて裁判官は、その良心に従い独立してその職権を行い、この憲法及び法律にのみ拘束される」と詠われていますが、これは裁判の公正を保つために、裁判官に対する不当な干渉や圧力を排除して、裁判官の独立を念押ししている記述です。

裁判員法8条も、たとえ呼び出された一般人による裁判員であろうとも、彼、彼女の判断は憲法76条3項の精神の投影により邪魔立てされないことが保障されていることを表現しています(私見)。

マイケルジャクソン被告に対する陪審員達の判断は、物証がない以上無罪であるというようなものだったようです。

検察はたとえマイケルジャクソンが非常ーーーにクロに近いと思っていても、これに不満を表明することは許されません。

陪審員裁判員は全く同義ではありませんが、日本でも裁判員を軽視する行為は、裁判官と検察が壇上におり、弁護士と被告人が檀下に見下ろされて、裁かれる人の立場よりも国体を優先して権力者の意思が大いに判決に影響してしまう道がついていた旧裁判システムへ復活する道を意味するからです。

いつどのような事件でも、最優先して考えられるべきは司法システムの健全性の堅持であり、判断そのものに対する三面記事的憤懣は司法の場に向けられるべきではありません。

特別警察が突然玄関先に現れ、あなたのお父さんを引っ立てていって二度と戻ってこなかったような時代を経験して、私たちは司法の独立を打ち立てています。
 

 
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