W杯への切符獲得と見返りのいらない応援

サッカー日本代表が凱旋 3度目のW杯切符手に帰国
宮本恒靖主将(G大阪)は「今回勝てたのは、みんなの気持ちが一つになったからだ。W杯の出場権を取れてほっとしている」と率直に心境を明かした。」

出入国管理及び難民認定法 5条1項第5号の2をご覧下さい。

第5条(上陸の拒否)

「次の各号のいずれかに該当する外国人は、本邦に上陸することができない。

5の2 国際的規模若しくはこれに準ずる規模で開催される競技会若しくは国際的規模で開催される会議の経過若しくは結果に関連して、又はその円滑な実施を妨げる目的をもつて、人を殺傷し、人に暴行を加え、人を脅迫し、又は建造物その他の物を損壊したことにより、日本国若しくは日本国以外の国の法令に違反して刑に処せられ、又は出入国管理及び難民認定法の規定により本邦からの退去を強制され、若しくは日本国以外の国の法令の規定によりその国から退去させられた者であつて、本邦において行われる国際競技会等の経過若しくは結果に関連して、又はその円滑な実施を妨げる目的をもつて、当該国際競技会等の開催場所又はその所在する市町村の区域内若しくはその近傍の不特定若しくは多数の者の用に供される場所において、人を殺傷し、人に暴行を加え、人を脅迫し、又は建造物その他の物を損壊するおそれのあるもの。」

(意訳:フーリガンは日本に入れません)
 

本条は前回のワールドカップが日本と韓国で開催されたとき、札付きのフーリガンを入国させないため急遽新設された項目です。

それにしては何故「会議」まで含んでしまって、しかも時限法(時期が過ぎたら廃案にするもの)でなく今も残してあるのか多少引っかかるのですが、とにかく騒動が主食のフーリガンは困ります。

皆が自由であるために、できるだけ他の人に迷惑をかけないでいようという法律があるのをしっていて、それをあえて破りに来る人たちはいわば法の外に一歩足を出しているスタンスですので、ルールに従う気のない人たちが海外からやってくる場合には私たちの国は彼らを入国させない自由があります。

日本の国民には、日本の法律が移住や外国旅行の自由を憲法22条で与えていますが、外国人を入国させるかさせないかは国際慣習法上、国の裁量、つまり自由意思であるとされています。

なぜならばそれまでも国際法で強制されればフーリガンだろうが、マフィアだろうが堂々と好きな国に現れて根付くことになり、そこにある統治という概念は有名無実化するからです。

幸い前回のワールドカップでは大きな混乱は起こりませんでした。

もっともサポータといってもいろいろで、なかでも日本人サポータの評判はすこぶる良好で、試合場も見れないのにずっと大声で声援を送り続けたその態度はフーリガン法の客体たる「自身の帰結を外部に要求しつづける」人たちとは対局にいるファン達の姿がありました。

かつて1964年東京オリンピックマラソンで銅メダルをとった円谷幸吉さんという選手がいました。

当時これから高度成長期に向かおうとする日本人達からは「次もがんばれ!」「もっとがんばれ!」というすさまじく応援が続けられました。

悪気がなかったとはいえ、そこにあったスポーツ選手に対する当時の日本人の態度は本質的に観客のための結果を要求するものばかりで、その期待の重圧に勝てなくなった当時27歳の円谷選手は手首を切って自殺しました。

彼の有名な遺書があります。

「父上様、母上様、三日とろろ美味しゅうございました。
干し柿、モチも美味しゅうございました。
敏雄兄、姉上様、おすし美味しゅうございました。
克美兄、姉上様、ブドウ酒とリンゴ美味しゅうございました。
巌兄、姉上様、しそめし、南蛮漬け美味しゅうございました。
喜久造兄、姉上様、ブドウ液、養命酒美味しゅうございました。
又いつも洗濯ありがとうございました。
幸造兄、姉上様、往復車に便乗させて戴き有難うございました。
モンゴいか美味しゅうございました。
正男兄、姉上様、お気を煩わして大変申しわけありませんでした。
幸雄君、秀雄君、幹雄君、敏子ちゃん、ひで子ちゃん、良介君、敬久君、みよ子ちゃん、ゆき江ちゃん、光江ちゃん、彰君、芳幸君、恵子ちゃん、幸栄君、裕ちゃん、キーちゃん、正嗣君、立派な人になって下さい。
父上様、母上様、幸吉はもうすっかり疲れ切ってしまって走れません。
何卒お許し下さい。
気が安まることもなく御苦労、御心配をお掛け致し申しわけありません。
幸吉は父母上様の側で暮らしとうございました。」

誰が読んでも胸を締め付けられるこの遺書には好きな食べ物がのどを通るときの幸せという極個人的な幸せの記録が慎ましく刻まれています。

どれほど27歳の青年が”公”という姿の見えない化け物の要求の前に”私”の幸福を失っていったのかが読み取れます。

当時の日本人という”公”は、もっと勝利をよこせというばかりで、勝敗に関わらない自立した応援という態度を知りませんでした。

37年たって、やっと私たち”公”は、誰かに寄りかからず応援する態度を獲得できたようです。

シードを使わない自立したワールドカップ出場を初めて手にしたジャパンの主将は「勝ってうれしい」の前に「ほっとしたのが本音」といいましたが、案ずるまでもなく、タイまで駆けつけた人たちは決して応援に勝利の対価を求めていませんでした。

彼らの幸福は大声で90分間応援を続けた時点で完了していたのです。
 

 
法理メール?