宇宙飛行士の毛髪無断売買とその支配可能性

月面着陸の元飛行士、無断で髪売った理髪店を提訴か(CNN)
「人類で初めて月面に着陸したアポロ11号船長のニール・アームストロングさん(74)が、散髪後の自分の髪を無断でコレクターに売ったとして、行きつけの理髪店を訴えることを検討していることが、1日までに分かった。 」
 
民法の206条をご覧下さい。

第206条〔所有権の意義・内容〕

「所有者は法令の制限内に於て自由に其所有物の使用、収益及ひ処分を為す権利を有す」

果たして、理髪店に捨ててきた自分の髪の毛、どういう法律構成で理髪店を提訴できるのか検討してみます。

民事訴訟法にいう”訴えの提起”のためには、主張する権利がなければなりませんが、今回の事件では切り落とされた毛髪に対する所有権が問題になりそうです。

所有権の客体、つまり所有権の目的物になるためには、民法では三つの条件が要求されます。

第一に支配可能性、第二に特定性・単一性、そして第三に独立性です。

支配可能性とはその目的物が所有したい人によって他人を寄せ付けずに支配できること、特定性・単一性とはどこにある何を支配しているのかが他人にはっきりわかること、そして独立性とは目的物が他のなにかと複雑にくっついて別の所有権とバッティングしないことを意味します。

切り取られた髪の毛は、特定性や独立性はクリアしているようですが、問題になるのは支配可能性です。

なぜなら憲法上の要請で、生きている人間を支配することは許されないため(それは奴隷を意味します)、人間の身体の一部は、生きている限り所有権の客体にはならないとされているからです。

ただし、髪の毛、爪、抜けた歯、摘出された臓器などは、分離した以上、そういった倫理の第一の壁を越えており、所有権は成立しえます。

内田貴先生も生存臓器について「排他的支配可能性が確保される限り、生存している身体の一部も「物」でありうるというべきだろう」とされています。

剥離してしまえば、”元肉体”からは時間経過とともに人間の尊厳がどんどん薄くなっていくという事だと思います(私的解釈)。

さあ、これで切り落とした髪が所有権の客体になる準備はできました。

そしてそれが直前まであなたの体の一部であった以上、少なくとも切られた直後はあなたに所有権があるといって間違いなさそうです。

大正10年7月25日の大審院判決では「生存者から分離した身体の一部は本人のものである」としたものがあります[参照:模範六法 2005 平成17年版]。

判例上も切った髪の毛は実はあなたの物なのです。

さあ、ここまでで、理髪店で切り落とした毛髪の上にはあなたの所有権が存在していることがはっきりしました。

そしてその所有権が『円満な状態』でなくなったときは、その所有権の効力として侵害の排除を請求でき、また侵害のおそれがあるときはその危険の防止を請求しえるとした昭和12年11月19日の判例もあります。

さらに私たちと理髪店の間には、理髪店に自分の所有物である毛髪の『円満』な処分を依頼した黙示の委任契約を見ることができます(私見)。

そしてそのときは、受任者である店主は、委任の本旨に従って「善良なる管理者の注意」、いわゆる善管注意義務をもって委任事務を処理する義務を負うことになりますので、店主にはどうやらその義務違反をもって責任を問うことが可能だといえそうです。

これからの世の中、自分の遺伝子情報がどのような仕組みを持って悪用されるのかは想像もつきません。

しかし私たちの社会は、初めに法律に縛られるわけではなく、その前にたいていのことは普通の人の普通の善意で問題なく運営されており、民法自身も社会が自主的に運営されることを望んでいます。

遺伝子情報獲得において決定的素材である毛髪、その処理が理髪店に一任されている現状でも、法的検討の前に、通常期待される「善良な管理者の注意」さえ忘れなければ、法律に追いかけられることはないといえます。
 

 
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