報道という懐刀も懐を切る

「ディープスロート」はFBI元高官 米誌で自ら明かす(朝日新聞)

憲法の21条をご覧下さい。

第21条〔集会・結社・表現の自由,検閲の禁止,通信の秘密〕

「集会,結社及び言論,出版その他一切の表現の自由は,これを保障する(以下略)。」
 

ウォーターゲート事件は、かつて米大統領が政党本部を盗聴した事件です。

盗聴の情報を新聞記者に漏らした人が誰なのか、記者は本人が名乗り出るまで30年間、それを明かしませんでした。

日本でも、かつて裁判所あるいは検察庁の人間が、朝日新聞の記者に事前に情報を漏らしたという疑いが起こり、記者がだれから情報を入手したのかについて証言全部を拒絶したため、証言拒絶罪となった事件がありました。

その事件では果たしてマスコミには取材源秘匿の自由があるのかが争われました。

その事件で最高裁は「取材源の秘密を守ることは職業倫理として一般に承認されているが、その倫理を法律上どのように保護するかは、立法政策上の問題である」として、取材源秘匿の保証を否定しました(昭和27年8月6日)。

しかし現在の通説的学説は、取材源の秘匿は国民の知る権利を確保する上で重要であり、取材源秘匿の利益および報道者の利益を理由ついて取材の自由に関連して憲法上の保護を受けることもあると考えています。

もともと報道する自由は憲法21条表現の自由の保障に含まれます。

私たちが記者会見や裁判の場でよく、報道機関が場合によっては横暴とも見えるほど自身の権利を主張するのに出くわすのは、私たち一人一人の気持ちから国の形を決める民主主義システムにおいて、その国のかたちの行方を決める判断の材料はほぼ、報道機関が提供しているからです。

実際にアメリカにはシールド法という取材源秘匿を保証した法があり、日本の憲法学説上も、報道が公権力の行方を形作る材料を提供する機関である以上、その公権力からの介入を排斥しなければならないことを理由に取材源の秘匿を21条で保証すべきであるとする立場が通説的です。

しかし、報道機関は別名、第四権力と呼ばれていることにはいつまでも注意が必要です。

これまで私たちはその第四権力の手による大きな悲劇を何度も目にしてきました。

記憶に新しいところでは、松本サリン事件における集中誤報が一つの家族の暮らしを事実上崩壊させています。

欧米では、人気ニュースキャスターは話し方やニュース素材の紹介の仕方で世論を事実上つくる一大権力者と見られています。

取材源の秘匿は、マスコミの良心という包装紙を一旦はがしてしまえば、ただの取材上の技法だともいえます。

それを裏切れないのは取材元に申し訳ないからでなく、第一義的には裏切ったマスコミはその後の取材がしにくくなることに理由があるからです。

よって21条で取材源秘匿の自由を保護する理論を構築するなら、その途上で”マスコミの良心”などという言葉を使うべきではありません。

そもそもTV局、新聞社も企業である以上それぞれ非常に特色のある大株主が存在し、彼らの意向に背く報道がされることはありません。

権力の自走化を警戒するため、私たちにはいつも最後の最後まで懐疑的な態度が要求されています。

 

 

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