家という小権力を承継しよう

<若貴亀裂>「理想の兄弟」もう戻れず…?(Yahoo)

「関係者らによると、30日夕、二子山親方が亡くなったあとの病室で兄弟が喪主をめぐって「オレがやる」「いやオレだ」などと言い争ったという。伯父の先代二子山親方の花田勝治さん(77)がたまりかねて止めに入っても、貴乃花親方が感情的になる場面もあり、なかなか収拾がつかなかったという。」

民法の877条をご覧下さい。

第877条〔扶養義務者〕

「直系血族及び兄弟姉妹は,互に扶養をする義務がある。」

私たちは兄弟助け合うことを国から強制されています。

若貴がいくらいがみあっていても、法律によって彼らは一方が困窮した時は助け合わなければなりません。

それを聞いてあなたの胸の中に今、不自然なざわめきが起こったとしたら、あなたの感覚は全うです。

なぜなら親が幼い子どもを扶養する義務ならともかく、民法877条に現在も兄弟同士の扶養義務が残っているのは、明らかに旧民法を支配した「家」という概念の残存物であるといわれるからです。

「家制度といわれても、家が単位なのは当たり前でしょう?」と思われたそこの奥さん!あなたの悪気ない日常感覚が、他ならぬあなた自身とお嬢さんを苦しめているかもしれません。

戦争に負けるまで私たちが使っていた旧型の民法では、たとえば以下のような規定が並んでいました。

民法第749条 

「1 家族は戸主の意に反して其居所を定むることを得す
 2 家族か前項の規定に違反して戸主の指定したる居所に在らさる間は戸主は之に対して扶養の義務を免る
 3 前項の場合に於て戸主は相当の期間を定め其指定したる場所に居所を転すへき旨を催告することを得若し家族か正当の理由なくして其催告に応せさるときは戸主は裁判所の許可を得て之を離籍することを得但其家族か未成年者なるときは此限に在らす」

法律はあなたの転居も、被扶養主体性も、すべてお父さん次第にしていたのです。

もう少し描写すれば、父は家の全ての財産を所有、子どもの結婚を決め、妻を支配し、自分だけが公の事柄にたずさわりました。

いかがですか?いまでもあたかも「古き良き時代の日本の良心」として語られるような「強かったお父さん」の原型がないでしょうか。

家制度という社会システムは、すべて上から物を考える権力主義というイデオロギーでデザインされています。

その証拠に、権力の頂点にあった旧天皇制は、旧型憲法1条において「大日本帝国は万世一系の天皇これを統治する」、また2条において「皇位は皇男子孫之を継承する」と高らかに宣言していました。

すなわち、他国を拡張資本主義の手段として統治下に置いた帝国主義時代の日本は、一軒の大きな家として、家長である天皇一人に統治され、その中にある各家庭もまた家長であるお父さんに逆らうことが”国家単位で”許されなかったフラクタル構造を持っていました。

現行皇室典範皇位継承者を男子に限定しているのはその名残です。

別の家族を持つことが予定される兄弟が、現在も法律でお互いに扶養義務を負わされているのは、戦争に負けてGHQにより人間一人一人から法律を組み上げ直す(民主主義)ことを強制されたはずの新憲法下でも、上から統治される家制度を良しとした権力主義下の旧道徳を”良心的に”新民法に残置した形跡といわざるをえません(私見)。

喪主を巡って紛糾する兄弟に仲介者が、「ではここは長男に」という決め方をしたとすれば、これもまた「長男は次男に優先し」「男は女に優先する」という家という小権力の継受者ルールを次世代へ無意識に申し送りしたといえます。

もし憲法24条にいう”家庭生活における個人の尊重と男女平等”を真に実現するものがあるとすれば、それは条文などではなく、むしろあなたが普段、自分の言葉だと信じて口にするモラルの出所を探る勇気と感受性のほうだと考えられます。

古式に生きた一人の家長は、形式論の外にスピンアウトした家族に対して最後まで一つの仕事をされていたようです。

二子山親方のご冥福をお祈りします。
 


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