「芸術テロリスト」今度は大英博物館にニセ壁画(読売新聞)
「今年3月、メトロポリタン美術館などニューヨークの4つの美術館に自作を勝手に展示した英国人画家「バンクシー」が、今度は、大英博物館に、古代人がスーパーマーケットのカートを押しているニセモノ壁画をこっそり展示した。」
刑法の35条をご覧下さい。
第35条(正当行為) 「法令又は正当な業務による行為は,罰しない。」 |
さて、あなたは芸術テロリスト、バンクシーさんの行為は法で罰せられるべきだとお考えですか?
私たちの刑法の35条にある「正当」という一言は、「法律的な正当」だけでなく、「社会通念上の正当」な行為も不可罰なのだとまで読み込まれています。
これは実質的違法性論という、ちょっと難しそうな考え方から導かれる結論です。
実質的違法性論とは、バンクシーさんの行為が形式的に法に背いただけでなく、全体としての法秩序に実質的にも違反している時まで待って「その行為は違法だよね」と認定する考え方のことです。
仮に事が日本で起こり、仮に美術館に鑑賞目的以外に入った行為をもって、形式的に建造物侵入罪に背いたとしましょう。
(美術館の管理権者が彼を招き入れたのは普通の客だと思ったからで、バンクシーさんの目的を知らず招いたときは無効だと考えれば可能です。)
次に私たちはあわてて彼を裁く前に、バンクシーさんがなにがしかの法益を侵害したのかを見つけなければなりません。
なぜならもし「実質的にも違反した」ことを、なにかの法益を侵害したこと、プラス、社会的に許されないことをしたことの二面で判断するのだとすれば、まず一方の法益侵害の事態がそもそも発生していなければならないからです。
これを法益侵害不可欠の原則と呼びます。
そしてここでも仮に、「権威ある美術館の社会的信用を損なった」となんとか法益侵害を認定できたとしましょう。
するといよいよ私たちは、バンクシーさんが社会的に許されない行為をしたのかを判断することになります。
もし美術館に自作を持ち込む行為が社会倫理秩序としては許せるものだとしたら、たとえ美術館の法益を侵害していたとしてもバンクシーさんの行為を「違法だ」と呼ぶべきではありません。
なぜなら社会倫理規範を用いることなく行為の違法性を論じはじめると法律は途端に私たちの手元から一人歩きをしはじめてとても危険な世の中になりかねないからです(私見)。
この社会倫理秩序の基準のことを刑法において社会的相当性と呼びます。
社会相当性という名前の紳士がいたとすれば、つい権威を手に入れようとする私たちに対するバンクシーさんのブラックジョークをこれは一本とられたと大笑いするだけでしょう。
バンクシーさんがいつまでも捕まることなく、彼のパフォーマンスのニュースが繰り返し海を越えて聞こえてくると、行為もさることながらそれを容認している欧米の発達した一般法感覚も相俟って、私たちをどこか爽快な気分にさせてくれます。
あなたは、日本で同じ芸術テロが継続して容認されるかどうか、是非一度想像してみてください。
法理メール?