主権は移植されたことよりも抜かれたことに意味がある

昭和天皇は終戦時、退位すべきだった」菅氏発言(Yahoo)

「菅氏はその理由として「明治憲法下で基本的には天皇機関説的に動いていたから(昭和天皇に)直接的な政治責任はない。しかし象徴的にはある。一つのけじめを政治的にも象徴的にもつけるべきだった」と語った。」

憲法の1条をご覧ください。

第1条〔天皇の地位,国民主権

天皇は,日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であって,この地位は,主権の存する日本国民の総意に基く。」 

憲法1条は後文で日本の主権は国民にあることを宣言しています。

ここで主権とはこのタツノコみたいな形をした国のなかを最終的に統率する権力のことです(私的定義)。

あなたの家庭でお母さんに一番権力があれば、内にあってはお母さんは「早くご飯たべちゃいなさい!」とあなたの家を統率する主権者であり、「ウチは勉強しない子供はTV見せないよ!」と家庭の方針を決定する人であり、町内にあってはお母さんは「旦那にゴミ袋を持たせようと、それはウチのことですから!」と統治の自主独立性を宣言する役割を担います。

これが主権です。

管代表が今回引用した天皇機関説とは、国の主権が国民にも、君主にも属さず、法人としての国家に属し、天皇は絶対的権力者ではなく、主権たる国家の制定した憲法によって与えられた限定的な権力を執行する機関でしかないという、君主を立憲主義的に解釈した学説です。

天皇機関説はよく読めば決して急進的学説というわけではなく、それはあくまで君主の存在を前提に議会の居場所をつくろうとした緩衝材のような学説でした(私見)。

しかし当時の空気のファシズム化が進むと、天皇機関説は徹底的に弾圧され始めました。

神の前に折衷的見識は許さないという、絶対的一元主義が支配し始めたのです。

そもそも主権とは、当初、君主主権と同じ意味でした。

現在の主権は1条で国民にあることとなっていますが、もともと一人の王様が握る言葉として開発された「主権」を、戦争に負けたときに無理矢理今や1億5千万人いる「国民」にくっつけていますので構造力学的に無理な言葉の生成になっています。

罪も犯さず毎日を必死で生き、寝る前には毎晩胸が苦しくなるニュースを聞かされ続けているあなたが、「この国の主権はあなたにありますよ」と憲法にいわれても「ポカーン」としてしまうのも無理はありません。

しかし「今や国の主権はあなたにある」という憲法の宣言は「もはや国の主権は一人の王にはない」と一旦裏返して読む必要があります。

それが1条第1文、「天皇は,日本国の象徴であり」の意味するところです。
 


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