職務質問の任意性と天皇の下僕

埼玉県警巡査部長が発砲、男性が重傷 職質中もみ合いに(goo)

「巡査部長は数メートル離れた場所から、威嚇射撃はせず、いきなり発砲したという。発砲した後、巡査部長は「おれは終わりだ」などと叫び、茂みに逃げ込んだという。」

警察官職務執行法2条3項をご覧ください。

第2条(質問)

「3 前二項に規定する者は、刑事訴訟に関する法律の規定によらない限り、身柄を拘束され、又はその意に反して警察署、派出所若しくは駐在所に連行され、若しくは答弁を強要されることはない。」

(意訳:警官の質問だろうとも、答えたくない人には答える義務はない。) 

かつて警察官はその正式名称を警察官吏といいました。

官吏とは天皇の下僕という意味です。

その警察官吏を治めた行政警察規則第三条は、その職務内容を「第一、人民の妨害を防御すること、第二、健康を看護すること、第三、放蕩淫逸を制止すること、第四、国防を犯そうとする者を隠密中に検索警防することの四件とす」と定めていました。

それはよく言えば分厚いパターナリズム、悪くいえば非常におせっかいなところまで警察官吏がズカズカと踏み込める危険性をもった内容を持ったものでした。

現在の行政警察規則にあたるのが警職法ですが、その親玉は刑事訴訟法であり、そしてその刑事訴訟法も逆らえないのが法律の大ボス、憲法です。

国家概念を一人の王から規定していた旧憲法は、戦争に負けた後GHQにより「一人一人の命を出発点に国家を組みあげる憲法」に大改造されました(私見)。

そのため新憲法は、配下の刑事訴訟法、そして警職法に「職務質問のための停止は強制処分に至らない範囲でのみ許される」ことを念押ししています。(憲法三三条・三五条、刑訴法一九七条一項)。

これを強制捜査法定主義と呼びます。

そしてこれがために、警察官の職務質問は任意の範囲でなければならないのです。

なぜならば、そうでない職務質問は、人権の最後の避難所である裁判所の許可(令状)の目の届かないところで、好きなように暴走しはじめる契機をあたえるものであり、それではおおよそ「一人一人の命を出発点に国家が組みあがっている」状態とはいえないからです。

人は誰しも他人から重んじられて生きていたいと願っています。

そのため幾ばくかの権力を日常的に与えられると、誰でもその拡大と永続、すなわち濫用をどうしても志向してしまいます。

先人は歴史を踏まえて警職法という安全な構造を作りましたが、いつのまにかその構造のなかを意図しない形で力が流動を続け、もともとの構造が表現した意味も内部から変えつつある可能性があります。

もし万が一その場合は、新しく世の中の力学を規定しなおす構造(法)の建築が必要であるのかもしれません。
 

 
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