国連:差別的敵国条項

日中関係悪化、中国に全責任…ワシントン・ポスト社説 (Yahoo)

「社説は、『中国は、日本の教科書に関する議論を誇張し、日本の在外公館や飲食店へのデモ隊の攻撃を許した』と指摘。中国国民の反日感情をあおり、利用するという『危険かつ無責任な決断』と断じたうえで、狙いは共産党一党独裁の延命にあると分析した。」

国際連合憲章の107条をご覧ください。

第107条〔敵国に対してとった行動の効力〕

「この憲章のいかなる規定も、第二次世界戦争中にこの憲章の署名国の敵であつた国に関する行動でその行動について責任を有する政府がこの戦争の結果としてとり又は許可したものを無効にし、又は排除するものではない。」

国連とは外務省のふんわりやわらか意訳をはぶいて直訳すれば戦勝国連合のことです。

その設立根拠条文である国連憲章は、「われら連合国は」という言葉で始まり、世の中を「連合国」と「枢軸国」に分けて規定する世界観をその前文でいきなり披露しています(2005年現在も)。

そこでいう連合国とは、戦勝国であるアメリカ、イギリス、ロシア、フランス、中国を指し、現在でも彼らが国連の改選されることのない常任理事国でありつづけることで世界の夕焼け番長連合が組織されています。

対して枢軸国とは日本、イタリア、ドイツを主とする敗戦国を意味し、国連憲章の107条はこれらの国に対する攻撃を国連決議等に拘束されず無条件に軍事制裁を課す事が出来ると定めています。

これを通常、差別的敵国条項といいます。

敵国条項は現在では死文化しているといわれてはいても、その条項を削除することは、いくら日本が国連に予算を拠出しようとも21世紀に入った今も実現していません。

日本は現在、自ら常任理事国入りすることで、国連のもつ二元論的世界観を内部から大きく変えようとしています(私的解釈)。

しかしもしそれが実現された場合、中国は国際戦勝国連合としての大きな法律的優位性を失うことになります。

現在のところ、中国はなにか理由があれば日本を攻撃しても国連憲章107条を根拠に正当化することが可能です。

また同じく第二次世界大戦で日本のジュネーブ条約を超えた行為に苦しめられた国からの私たちの常任理事国入り活動への反発も十分予測できました。

日本の戦勝国連合入りは、彼らの戦後の意味を書き換えてしまう可能性があるのです。

反日デモは日本の常任理事国入りの選挙の日まで演出されつづけ、その日を境に収まることが予測されますが、必ずしも時の政権が表現する国家的態度が、国民の直接の意思を意味するとは限りません。

インターネットさえ中国では国家にフィルタリングコントロールを受けるのが現実です。

先週、ラジオに出演した瀬戸内寂聴さんが、「敗戦当時私は中国にいた。だから私は中国の人たちに日本軍が実際にしてきたことをこの目で見てきた。そのため戦争が終わった時、当然私は殺されると思った。しかし中国の人たちは実際には私をやさしく慰めてくれた。」とおっしゃっているのを聞きました。

一方、Jiang Wen監督も「鬼が来た!」という中国の映画の中で、当時の日本軍の中に所属した一軍人の目線にまで立って、組織の論理上不可避だった行動を描くことに成功しています。

私たちにも相手国の(政府ではなく)国民の目線に立てるバランス感覚があるのかが試されています。
 

 
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