公共危険の条文で、車内の発砲を罰する法

「自動車内の発砲でも発射罪」 最高裁が初判断(朝日新聞)

銃刀法の3条の13をご覧ください。

銃砲刀剣類所持等取締法 

第3条の13(発射の禁止)

「何人も、道路、公園、駅、劇場、百貨店その他の不特定若しくは多数の者の用に供される場所若しくは電車、乗合自動車その他の不特定若しくは多数の者の用に供される乗物に向かつて、又はこれらの場所若しくはこれらの乗物においてけん銃等を発射してはならない。 (以下略)」 

銃刀法3条の13をそのまま読むと、どうも多数人が逃げ惑うような状況下での発砲だけを禁止しているようにも読めなくもありません。

すると車中とはいえ街中で発砲した人の危険度を計れなくなります。

そこで先人が残した法文を、法の目的に沿って語義を広げて解釈したり、縮小して解釈したりしてその真の意味を明らかにする法的技術が必要となります。

これを「法の解釈」と呼びます。

そして各法律がどういうつもりで作られたのかは、後人の解釈のためにたいていその第一条に書かれる慣習にあります(法の親玉、憲法では 1条の前の前文に書かれています)。

たとえば上記銃刀法という法律の目的が仮に銃器の一般家庭への普及が目的であると一条に書いてあれば、最高裁はおそらく今回のような解釈はしないでしょう。

しかし実際にその一条には「この法律は、銃砲、刀剣類等の所持、使用等に関する危害予防上必要な規制について定める」と書いてあります。

その立法趣旨は大きく銃器使用者の自由を非常に制限し、より一般人の身体の安全に保護法益の比重をおいた形で作られているわけです。

ボーっと読むと「人中で発射するな」と読める条文でも、その立法趣旨「他人を危険にさらすな」から考えれば、「たとえ車内でも撃ち間違えば十分車外に飛び出す危険があり、それが街中なら人を危険にさらすことに間違いない」と解釈すべきことになります。

これが今回最高裁が行った「法の解釈」です。

その昔各法律をつくったそれぞれの人は誠実にこの大切な文章を残しました。

裁判所は古い時代につくられた法律の条文を立法者の気持ちから離れないように解釈しつづければ誰もが納得できる形で判例をその条文の下に並べていけることになります。

普通、地裁や高裁がこの仕事をしています。

そして最高裁とは、紛糾した条文の解釈を判例として現代の形に理論的に揃えていく仕事を引き受ける、その最終機関だといえます(私見)。
 

 
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