「弁護側は安部被告と同じ患者について元厚生省生物製剤課長、松村明仁被告(63)の無罪が確定したことから「安部被告の無罪も明らか」と主張したが、同高裁は専門医と行政官という立場の異なる両被告は「注意義務の基礎となる具体的事情を異にする」と指摘。」
刑事訴訟法の314条をご覧ください。
第314条〔公判手続の停止〕 |
刑事訴訟法314条にいう心神喪失とは刑法上の心神喪失と状態が違います。
刑法のそれは精神機能の障害により,是非善悪を判断することができないか,又はその判断に従って行動することができないまで進んだ状態をいいます。
しかし刑事訴訟法においては一定の訴訟行為をなすに当たり、その行為の意義を理解し、自己の権利を守る能力がないことを意味します(判例)。
つまり314条の立法趣旨はあくまで「フェアな手続き制度」を死守し、例えばやらかした罪はせいぜい懲役刑が妥当なのに、自分が十分に主張することができず、正気に戻ってみたら絞首刑台の前にいたという状態を避けようとするところにあります(私見)。
その意味で誤解してほしくないのは、「刑事訴訟法上で心神喪失だから手続きを継続しない」というのは「刑法で心神喪失により罪に問わない」という話とは全く次元が違うということです。
もし心神喪失者に罪があったなら刑法はそれを贖いますが、刑事訴訟法は本質的レベルではそれを贖いません(私見)。
俗に弁護士は井戸に子供が落ちてもいっしょになって騒がず冷静に井戸の周りを回れというそうです。
弁護士がひきづられて熱くなっていたら事態をもっとも効率よく解決することができないという形式的教訓でもあり、みんな真っ青になって飛び込んでくる依頼人の感情にいちいち同情していては体が幾つあっても足りないという実質的教訓でもあるようです。
おそらくお医者さんも毎日つらそうな顔をして現れる百人単位の患者にいちいち感情移入していてはたまらないという面は否定できないのでしょう。
だいいちそれでは毎日人の腹をメスで開くなんてできないかもしれません。
人を三人殺してやっと一人前の医者だという言葉もあるそうです。
医療事故、あるいは業務上過失までしか評価されない医療現場での実験行為を生む素地はこういった職業的変性意識にあるかもしれません。
もしそれが”必要悪”だったなら、私たちはこれからも弁護士報酬にあわせて必要的に弁護士にぞんざいに扱われ、医学の進歩のために必要的に死ぬ可能性を甘受すべきなのでしょうか。
その変性意識はあくまで職業的に必要なものではあっても、あらゆる価値は個人の生命という絶対価値の前ではその座を下にするはずです。
過誤があったときは弁護士も医師も法で厳しく結論つけられるべきで、私たちは後世のためにも法制度に活発に参加して必要悪のエリアを少しでも押し戻しつづける義務があります。
今回の高裁の判断はわたしにはそう聞こえます。