防空法は死を強制した

鹿児島の中学生4人CO中毒死、探検ごっこ中の事故か(読売新聞)

改正防空法の8条の3をご覧ください。

防空法8条ノ3

「主務大臣は防空上必要あるときは勅令の定むる所に依り一定の区域内に居住する者に対し期間を限り其の区域よりの退去を禁止若は制限し又は退去を命ずることを得」

防空法という法律はすでに存在しません。

しかし戦前はこの法律により、国は隣近所に共同体組織を強制、そのグループ単位でバケツリレーなどによる防火訓練を「法律で」強制しました。

しかし実際には日本家屋を焼き尽くすために徹底開発されたナパーム(火のついた油を飛び散らす爆弾)はいったん絨毯のように空からばら撒かれると人がこれを消火することは不可能でした。

そして改正防空法8条の3はその現場から非難することを禁じていたため、東京大空襲で多くの命が無駄に焼かれたのです。

法律が社会的的マナーと違うのは、それが国家的背景をもち、最終的に国家の強制力で実現させられる点にあります。

あなたも学校で法律を学んだご経験があればその定義はご存知だと思いますが、具体的には一旦火災現場から避難することを禁止する法律ができたときは皆が国家の強制力によってその体を焼かれていくということを意味します。

法律がただの文章でなく、現実に機能していくにはその内容が遵守に値するものでなければなりません。

なぜなら私たちは一人一人木偶の坊ではないからです。

法は従うことをまず自らが選択することに非常に重要な意義があると考えます(私見)。

これを法の妥当性といいます。

国家強制力はその後押しをするべきいわば我々の選択に対する侍従の位置にあるはずです。

防空壕は改正防空法によってやはりその設置を強制されていました。

4人の少年の命を奪って尚、腹をすかせた国家強制力という亡霊が、私たちの当事者意識が欠ける隙を狙っています。
 
亡くなった少年達のご冥福をお祈りします。
 
 

法理メール?