死刑から蘇生した男とツイステッド・ロジック

4人殺害の前橋スナック乱射、暴力団幹部に死刑判決(読売新聞)

刑法199条をご覧ください。

第199条〔殺人〕

「人を殺した者は,死刑又は無期若しくは5年以上の懲役に処する。 」
 

人を殺すことは許されないので→もしやったら国が死刑にする。

このツイステッド・ロジックを何とか解決するため、我々はそれぞれの刑罰論を用意して各自が腹に落としておく必要があります。

私達社会が罪人に対して罰を与えることにはいったいどういう意味があるのかという点について、応報刑論と目的刑論の対立があります。

応報刑論は刑罰を罪人が社会に与えた害悪に対する社会からのカウンターパンチだと考え、目的刑論では刑罰を用意しておくことで一般人を犯罪から遠ざけるのだと考えます。

その昔(明治6年)、いまの松山付近で紋首刑にされた田中藤作なる人物がおり、死体下げ渡しを受けた親族が家にかつぎ帰ると蘇生してしまったのだそうです。

すると当時の司法省は、直ぐに本籍に編入せよと指令,執行者側の進退伺にも無罪だと通達したのだとか。

少なくとも当時の司法省は、死刑を「そんな人間にはこの世の空気を吸わせるな」という刑とは捉えず、「もっとも厳しい罰を与えたのだからもういいのだ」と解したようです。

死刑は一度執行してしまうと、手続きに誤りがあってもやりなおすことができません。あの帝銀事件で獄死した平沢貞通死刑囚に、三十数人にも及ぶ歴代の法務大臣が決して死刑執行のサインを与えなかったのもそれが冤罪だと知っていたからだと長く囁かれています。

営利団体に会社という法律的人格を与えられる社会なら、罪人に法律的仮死状態(釈放のない現実的な終身刑)を与えても代替できるように思います。

あなたのお考えではいかがでしょう。
 

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