ミルク飲まない、7か月長男殴り死なす…37歳父逮捕(読売新聞)
刑法205条をご覧ください。
第二百五条(傷害致死) |
傷害致死は結果的加重犯の典型例です。
したがって、本罪では加重結果についての予見可能性の程度がどの程度要求されているのかが一応問題にはなりえます。
この点刑法学の大谷實先生は、予見可能性は結果回避義務を導くものなので、何が起こるか分からないといった単なる危倶感・不安感といったものでは足りず、一般人を結果
回避義務へと動機づける程度の具体的予見可能性が必要であると考えます(具体的予見可能性説)。
つまり誰が見ても具体的に危ない状況だったら、言い逃れはさせないぞという考え方で、学説上幅広く支持されています。
生後7か月の未だ頭骨さえやわらかい乳児を殴れば、当然に誰にでも死の結果は予見できたわけで、大谷説によれば予見可能性の存在を言い逃れができません。
子供を虐待する親のニュースが跡を絶ちませんが、もしかすると一部の親になった人に「お前のために俺はこんなに自分を犠牲にしてしまっている」という感情が剥がれないのかもしれません。
しかし本来、自分の子供という弱い存在を育てるという機会だけは、尽くすことだけに価値を見いだせる貴重な機会だといえます。
それは尺度が自分の中にしかない絶対値であり、それだけになにものにも比べられない喜びが得られるはずなのです。
それなのに一旦その機会を見誤れば、まるで詐欺にあった被害者のような気分に、終生支配されることになります。
もし計測できる相対的な取引がしたいのなら、街のそこらじゅうにわたしたちを手招く人たちが立っているのです。