殺す人が世界を隅から喪失させる

愛知・安城市の乳児殺傷事件、氏家容疑者を送検

刑法199条をご覧ください。

第199条(殺人)

「人を殺した者は、死刑又は無期若しくは三年以上の懲役に処する。」

『人を殺してはならない』という結界が一旦破られたなら、世界はその隅から白々と失われていくはずです。

殺してよいのなら所有権などなく、契約も成立しないわけで、ビルはおろか車も道路さえもこの世の中に顕出しえません。

いったん世界の刑法から殺人罪が削除された途端、その法律書の活字はすべて薄らんでゆき、それどころかこの世のなにもかもが輪郭をうしなっていくのです。

199条の根本原理を真の意味で理解するには、他者とあなたの対立関係を解きほぐさなければなりません。

なぜ人を殺してはならないのか。

そもそもそう問いはじめたあなたとはいったいどこにいる誰なのかが問題です。

「自分がされたらいやなことは他人にもしてはならないから」といったような、なまぬるい視点に収まり続ける限り、乾いた自分はいつまでも現れません。

我々は連なっており、そのうえで砕けているはずです。

それを理解するための鍵になる問いこそが、実は「なぜ人をあやめてはならないのか」ではないのでしょうか。

自分というものが最初から手放しで独立していると愚かにも過信してしまった者だけが、子供に刃物を立てえるのです。
 
 

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