デカルトの燈を都庁に灯そう

都税滞納者の車を一斉差し押さえ 不払いならネット公売(朝日新聞)

ちょっと長くなりますが、地方税法第16条の4をご覧ください。

第16条の4(保全差押)

「地方団体の徴収金につき納付又は納入の義務があると認められる者が、不正に地方団体の徴収金を免かれ、又は地方団体の徴収金の還付を受けたことの嫌疑に基き、この法律で準用する国税犯則取締法の規定による差押若しくは領置又は刑事訴訟法の規定による押収、領置若しくは逮捕を受けた場合において、その処分に係る地方団体の徴収金の納付し、又は納入すべき額の確定後においては当該地方団体の徴収金の徴収を確保することができないと認められるときは、地方団体の長は、当該地方団体の徴収金の納付し、又は納入すべき額の確定前に、その確定すると見込まれる地方団体の徴収金の金額のうちその徴収を確保するためあらかじめ滞納処分をすることを要すると認める金額を決定することができる。この場合においては、徴税吏員は、その金額を限度として、その者の財産を直ちに差し押えることができる。(以下略)」

石原知事が・・・もとい、地方がこのような強力な法律で財源確保を保障されていることは、われわれ一人一人の国民にとってどんな意味があるのでしょう?

実は戦前の中央集権主義の支配の下では、重要な租税がほとんど全部国税とされていたばかりでなく,地方公共団体は独立の税源をもたず,地方税国税のついでとして賦課・徴収されていただけでした。

そこでは、地方という組織は中央の意向をより隅々に行き渡らせるためのシステムでしかなく、逆に個人の発達にとっては本質的に重圧でしかありませんでした。

端的にいえばイッコ前の日本では官僚が我々を拘束していたのです。

そして敗戦後,シャウプ勧告に基づく税制改革がもたらされ、地方公共団体に独立税源が与えられました。

疑う余地のない公理として私達一人一人から統治機構の構成をはじめれば、身の回りの手の届く地方団体のほうが自分の声を政治に届けやすいことは明白です。

さらにその積み上げで国の政治をつくっていけば、結局自分達の声の集大成が国政に反映される公算が大きくなります。

すなわち「地方自治が大切だ」とは、「出発点は役人でなく俺達だ」ということにほかなりません。

デカルトも自分だけを出発点にせよとサジェッションしています。

これを財源で裏打ちするのが、何を隠そう本日行使された地方税法です。

 

 

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