憲法の31条をご覧下さい。
第31条〔法定手続の保障〕 |
私たちの自我はことばで組みあがっています。
そしてそれらはすべて学習によって自分の中に取り込んだものです。
同じ言葉でできあがっている同国人同士は、自分で意識できないレベルで同調行動をとるのはこのためです。
自我が言葉で出来上がっていることをよくよく分解して考えてみれば、決定論という諦観と、自由意志論という信仰が拮抗するのもうなづける話です。
さらにあらゆる言語に共通するルールまで解きほぐせば、人間の自由意志の範囲はますます怪しくなってきます。
しかし言葉でできた我々を、法律という言葉の緊張をもって制御できることも、ほかならぬ人間だけに許された芸当です。
法律はお互いの自由を確保するための高等技術です。
たとえば憲法31条は、公権力が適当に、理由もなく逮捕したり、刑罰を科すことを抑制し、人身の自由を保護を図っています。
いつの世も権力を持たない国民にとって自由の絶対量は決まっているように見え、さらにその偏在度は国によってかなり違って見えます。
法律という言葉の記述が国民に公平な自由を分配できた日、それがその国にとって法律が実質化した日と呼べるのです。
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