自由意思という宗教が彼を放免する

横浜山手聖公会に「火つけた」と出頭 米国籍男性を逮捕(朝日新聞)

「調べでは、同容疑者は4日午後6時ごろ、教会内部に火をつけて全焼させた疑い。同教会の信者だという。 放火した動機については「自分でもわからない」などと話す一方、放火の方法などは具体的に供述しているという。 」

刑法39条をご覧ください。

第三十九条(心神喪失及び心神耗弱)

「1 心神喪失者の行為は、罰しない。
2 心神耗弱者の行為は、その刑を減軽する。」

その昔、法を破れば子供も罰せられましたし、家族が大それた罪を犯せば連座して処罰さえ受けました。

現在では違反行為をしたことについて、社会から非難を受けるに値する責任がなければ、その行為は犯罪になりません。

現在の刑法は物事の是非善悪を判断し、その判断に従って行動できる能力がない人の行為は処罰しません。

39条の向こう側に凶悪な犯罪を起こした人々が消えてしまうとき、シンプルに、人はこう思います。

「何故なのか?」

現在の通説は、なぜ責任能力がない人の凶悪犯罪を犯罪と呼ばないのかという問いかけに、自由な意思決定を行いうる人が道義的に非難できないから、と回答します。(道義的責任論)

根底を流れるのは、人間の一生には、その自由意志が貫徹しているという希望への信仰です。
 


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