「李氏は政治活動は行わないという前提で査証(ビザ)の発給を受け、12月27日に来日。名古屋、金沢、京都などを訪問し、初めて新幹線にも乗った。滞在中に国会議員とは面会せず、観光に終始した。来日を巡っては中国政府が「言動を注意深く見守る」とけん制していた(日経新聞)」
憲法の22条第1項をご覧ください。
第22条 「何人も,公共の福祉に反しない限り,居住,移転及び職業選択の自由を有する。」 |
日本国民には憲法第22条というものがあっても、判例・通説は憲法上外国人の入国の自由は保障されないとしています。
なぜなら外国人の入国の規制は、国際慣習法上、主権の属性として、国家の裁量にゆだねられていると考えるからです。
ここんとこよくよく考えると、自然権もヘッタクレもあったもんじゃないような気もします。
ともかく、ここでいう主権とは、ウチのことはウチが決められる権力といったようなものです(私見)。
つまり、ウチの運営にとって国内的治安、また国際的つきあい上不利になるような外国人の入国は認めない国家裁量が、外国人の人権には勝るというのが通説・判例です。
今回日本政府の説明によると、李登輝前総統の入国を、ウチの運営上内外ともに支障がないと消極的に判断したものと思われます。
ひょっとすると本音の部分ではより戦略的に、積極的意義を見出せるとの判断が働いたのかもしれません。
いずれにしろ法学上、今回の判断を李登輝さんの人権から積み立てていく見解は建前を別として存在しません。
現実の前に、時に人権はあまりに軽いのです。