少年の前で社会は言葉を失った

少年法の1条をご覧下さい。

第1条(この法律の目的)

「この法律は、少年の健全な育成を期し、非行のある少年に対して性格の矯正及び環境の調整に関する保護処分を行うとともに、少年及び少年の福祉を害する成人の刑事事件について特別の措置を講ずることを目的とする。」

非決定論の立場から,理性的な人間像を基礎にすえたのが応報刑論です。

応報刑論は19世紀後半の資本主義の発達に伴う累犯の激増によって犯罪対策において無力であることが露呈されるに至りました。

そこでロンブローゾの「生来性犯罪人」概念が目的刑論を導いた歴史があり、現在の通説はこれらを一体として応報刑論を基礎としつつ応報の範囲内で一般予防・特別予防を考慮すべきであるとしています。

少年法は純応報刑的です。

すなわち、彼が成年としての選択をした意識がなければ応報できないという思考法です(私見)。

しかしいま、現実の事件の数々の前に少年法がひとつの無力感を露呈しつつあります。

人に自由意思を認めたまま目的刑論を持ち込むことに元来矛盾はありません。

少年法の精神を維持しつつ新しい時代の新しい修正が必要な時代に入ったようです。
 

 
法理メール?