刑事訴訟法の314条1項をご覧下さい。
第314条(公判手続の停止) 「被告人が心神喪失の状態に在るときは、検察官及び弁護人の意見を聴き、決定で、その状態の続いている間公判手続を停止しなければならない。但し、無罪、免訴、刑の免除又は公訴棄却の裁判をすべきことが明らかな場合には、被告人の出頭を待たないで、直ちにその裁判をすることができる。」 |
松本被告には現在、裁判を受ける能力がないのだそうです。
訴訟能力を刑事訴訟法で問疑するとき,それは訴訟手続を進める条件として被告人に必要な精神能力の有無を意味します。
つまり、被告人としての重要な利害を弁別し,それに従って相当な防御をすることのできる能力のことです(判例)。
もし本当に松本被告がこのような能力を欠く状態すなわち心神喪失の状態にあるときは,原則として公判手続の停止をしなければなりません。
本当は言い分があったのに、ハっと我に返ったら絞首刑台の上にいたということになりかねないからです。
しかしここにはひとつの問題が存在します。
それは生まれてこの方ずっと能力にハンディがある人たちと違い、途中からこれを失った人たちにおいて、論ずべき本質的問題です。
すなわち、「狂気の淵は遠浅ではないのか?」という命題です。
松本被告はいまどういう景色を見ているのでしょう。
そしてその位置は果たして訴訟能力を欠くという評価を与えうるのでしょうか。
たとえばだれでも怒りにまみれれば、その淵の近くの景色を覗くことができます。
もしそこが自由に行き来できる場所であるとすれば、ことによっては訴訟制度のある方向に向かっての限界を描き出すかもしれません。