「長野県が昨年実施した住民基本台帳ネットワークへの侵入実験を担当した米国人のイジョビ・ヌーワー氏による総務省後援の発表が中止になった問題で、ヌーワー氏は22日、「総務省が内容の大幅な修正を強く迫り、講演をやめざるを得なくしたのは表現の自由の侵害だ」などとして、3000万円の支払いを求める国家賠償請求訴訟を東京地裁に起こした。」
憲法の21条をご覧下さい。
第21条 |
イジョビ・ヌーワー氏は若いのですが、自伝が出ています。
自伝はどこからでているのかというとオライリーです。
オライリーというのは、DNS&BIND、表紙から俗にバッタ本などといわれますが、ネットワーク技術者必読の分厚い本を出している出版社です。
つまりヌーワーという人は、どこかの馬の骨ではありません。
それは置いておいて、まず法律的検討の前に誰もが感じうる人としての感覚で検討してみましょう。
記事には「表現の自由を否定されただけでなく、セキュリティー専門家としての誇りを著しくないがしろにされた」とあります。
そりゃそうでしょう。
調べろというから、プロの仕事でセキュリティホールを調べ上げ、問題点を指摘しようとしたところ急に取りやめにしろといわれたわけですから。
もしハック可能な穴を見つけていたとしたら、彼にすれば人として指摘したくてしょうがないでしょう。
果たして我々にとって話すとはどういう行為なのか、そしてそれを他者から力ずくでせき止められるとはどういった種類の屈辱なのでしょうか。
それに対して我々日本人が出している回答、それが憲法21条「表現の自由」なのです。
そこには「集会、結社及び出版その他一切の表現の自由は、これを保障する」と書いてあります。
しかしすべからくどの法律にも、利益衡量という背骨が貫かれています。
つまりいくら保障すると書いてあっても、それによって失われる被害が甚大な場合は裁判所はあなたに譲歩を迫るのです。
ではヌーワー報告で検討されるべき対抗利益とは何でしょうか。
国家保安でしょうか。
いや秘匿されている情報はそういった類のものではないので、ひょっとすると住民票コードの守秘、すなわち私たち一人ひとりの利益かもしれません。
これが不用意に漏れてしまったら、悪徳金融業者間で売買の対象にされかねません。
いやいや待ってください、そもそも・・・
あなたも是非、ヌーワー氏の表現の自由が制約され得ざるを得なかった対抗利益とはいったいなんだったのか、お考えになってみてください。