ベアテがくれた明日の笑顔

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ベアテ・ゴードンさん死去 日本国憲法の男女平等条項起草

「 【ニューヨーク共同】第2次大戦後、連合国軍総司令部(GHQ)民政局のスタッフとして日本国憲法の起草作業に携わり、男女平等に関する条項を書き上げた米国人女性ベアテ・シロタ・ゴードンさんが昨年12月30日、膵臓がんのためニューヨークの自宅で死去した。89歳だった。」

憲法の第24条をご覧ください。

 

第24条〔家族生活における個人の尊厳と両性の平等〕
 婚姻は,両性の合意のみに基いて成立し,夫婦が同等の権利を有することを基本として,相互の協力により,維持されなければならない。

 配偶者の選択,財産権,相続,住居の選定,離婚並びに婚姻及び家族に関するその他の事項に関しては,法律は,個人の尊厳と両性の本質的平等に立脚して,制定されなければならない。

 

(以下参照文献:ダグラス・ラミス 憲法は、政府に対する命令である

それがどこの国であれ、憲法制定の瞬間は特別な時間です。

憲法自体を制定する場合、憲法の上にもう一つのはっきりした規準は存在していないため、新しい憲法を制定することは、その国の人の権利義務の形をなぞることだからです。

憲法のそれぞれの条項はその後の国の文化に大きく影響を与え、たとえば人権条項の有無によって、国の文化はかなり変わります。

日本国憲法第24条が定めると解釈されている男女平等条項もその典型例です。

自分には権利がないと思い込んでいる女性と、あるとわかっている女性の立ち居ふるまい、人とのつきあい方、さらに、歩き方、声の出し方など無意識にかわってしまうのは、各国の憲法とその国の女性の振る舞いを比較すれば明らかです。

憲法が女性の権利をどう定義するかにより、女性であるあなたが明日何度会社で自然に微笑むことができるのか影響をうけ、私やあなたの国が戦争をするかしないかという憲法的定義が、個人の一日の過ごし方に深い影響を与えていることは、いうまでもありません。

つまりこれらを突き詰めれば、憲法こそが一つの国民を形成するといえるでしょう。

どこかの国の権力を拘束する憲法という枠組みが再定義されるとき、私たち自身はただ従うべき存在である臣民から、自分や自分の愛する人の存在の仕方を考える国民へと立場を変貌することになるのです。

これは憲法の制定以前にその国民が存在していたとしても、新しい憲法を形成するなら新しい国民をあらためてつくり出すことになるということです。

 

今般お亡くなりになったベアテさんがGHQ内において起案したといわれる日本国憲法草案のその原文は以下の通りでした。

Ⅲ SOCIAL AND ECONOMIC RIGHTS

Article The family is the basis of human society and its
traditions for good or evil permeate the nation. Hence marriage
and the family are protected by law, and it is hereby ordained that
they  shall rest upon the [undisputed] legal and social equality of
both sexes, upon mutual consent instead of parental coercion, and
upon cooperation instead of male domination. Laws contrary to
these principles  shall be  abolished, and replaced by others viewing
choice of spouse, property  rights, inheritance, choice of domicile,
divorce and other matters pertaining to marriage and the family
from the standpoint of individual dignity and the essential equality
of the sexes.

(出典:高柳 賢三,日本国憲法制定の過程―連合国総司令部側の記録による (1)

 

日本語が堪能だったフェミニストベアテさんの草案は、焦土の匂いもまだ生々しかった私たちの小さな国に、新しい権利を確保された新しい女性を生み出しました。

その憲法をわたしたちがまた再び改正するなら、それはあなたや私そのものの存在の仕方を、再び定義し直すことを意味しています。



舞踏:生命の原初発露

ダンス規制削除求める署名 坂本龍一さんらが呼び掛け人

「署名活動は、関西のクラブ経営者や利用者で作る「Let’s Dance署名推進委員会」が主催。委員会によると、最近は同法違反でクラブ経営者らの摘発が相次いでおり、廃業を余儀なくされた店もある。委員会は「風営法ができた当時は、ダンスホール買売春が行われていたとされたため『ダンス』が規制対象になった。現状にはそぐわない」としている。」(産経ニュース)

風俗営業法の第一条をご覧ください。

 第一条 (風営法の目的)

「この法律は、善良の風俗と清浄な風俗環境を保持し、及び少年の健全な育成に障害を及ぼす行為を防止するため、風俗営業 及び性風俗関連特殊営業等について、営業時間、営業区域等を制限し、及び年少者をこれらの営業所に立ち入らせること等を規制するとともに、風俗営業の健全 化に資するため、その業務の適正化を促進する等の措置を講ずることを目的とする。 」
 

 

風営法第一条は、善良の風俗と清浄な風俗環境の保持と清浄な風俗環境の保持、 少年の健全な育成に障害を及ぼす行為の防止が風営法の目的であることを規定しています。

ところでここいう「善良の風俗」とは、法解釈上どのような意味なのでしょうか?

この点を昭和32年3月13日の最高裁判例はこういっています。

「… … もちろん法はすべての道徳や善良の風俗を維持する任務を負わされているものではない。かような任務は教育や宗教の分野に属し、法は単に社会秩序の維持に関し重要な意義をもつ道徳すなわち「最少限度の道徳」だけを自己の中に取り入れ、それが実現を企図するのである。刑法各本条が犯罪として掲げているところのものは要するにかような最少限度の道徳に違反した行為だと認められる種類のものである。性道徳に関しても法はその最少限度を維持することを任務とする」

最高裁判所風営法運営の初期の段階で、民意の支持が風俗警察活動の基盤には随時補給される必要があるという本質を念押ししています。

風営法の中核をなすのは、「客に酒を飲ませる営業」、 「射幸心をそそるおそれのある遊技をさせる営業」、及び「性を売り物にする営業」です。

これらは、俗に「飲む、打つ、買う」といわれる人間の欲望に深く関わる営業です。

国家という私たちの所属する最大グループがそれら風俗の退廃を恐れるのは、それがわたしたち国家の統率力に影響すると知っているからにほかなりません。

しかしながら同時にそれを規制するに当たっては、わたしやあなたひとりひとりの常識に立脚し、世論の理解と支持が得られるものでもなければならないと、最高裁判例は言っているのです。

なぜならば風俗営業という圧力弁こそは、わたしやあなたの生命活動と密接な関係にあるものごとだからであり、ことさら精妙な調整が要求される部位だからです。

クラブ文化を愛する人が、「怖いイメージとか不健全なイメージがある方もいるかもしれませんが、そこには音楽とお酒の好きな寂しがりやたちが集まってるだけ」なのだと教えてくれました。

法はその自治維持という目的を果たす前に、まずその権力の成立根拠を丁寧にたどるべきです。

そうでなければその規制は、わたしやあなたの胸にぬぐえない違和感を置いていくかもしれません。

 

(参照書籍)

青い光の黄金比

社説:原子力基本法 「安全保障目的」は不要

原子力行政の憲法とも言うべき原子力基本法に「我が国の安全保障に資する」との目的が追加された。真意はどこにあるのか。将来、核兵器開発に道を開く拡大解釈を招かないか、原発をはじめとする原子力の開発・利用の有効性を強調する意図なのか??などなど、さまざまな臆測を呼んでいる。」(毎日新聞

改正原子力基本法の第一章第二条をご覧ください。

 

第一章 総則

第2条(基本方針)

原子力利用は、平和の目的に限り、安全の確保を旨として、民主的な運営の下に、自主的にこれを行うものとし、その成果を公開し、進んで国際協力に資するものとする。

2 前項の安全の確保については、確立された国際的な基準を踏まえ、国民の生命、健康及び財産の保護、環境の保全並びに我が国の安全保障に資することを目的として、行うものとする。」


 

日本で原子力という言葉が使われるとき、その周辺ではこれまで何が起きてきたのでしょう。

この点、ドイツでウラン核分裂が公表された1939年から,原子力政策が始まった1955年までの日本の核開発の歴史を正確にたどった「日本の核開発:1939‐1955―原爆から原子力へ 」(山崎正勝著)という著作がありますので、以下当該書籍から参照させていただきます。

「核開発」という言葉は、通常は核兵器開発の意味で使われ、一方で「原子力開発」には、平和的な利用を指す慣わしがあります。

戦前・戦中の日本のウラン研究開発は、陸軍と海軍の下で行われていましたが、戦後の原子力政策は軍事利用と平和利用との間で揺らぎつづけてきました。

しかし1955年12月の原子力基本法の制定によって、日本は国内法によって核技術の軍事転用を禁止した世界で最初の国になっています。

現実に、原子力基本法衆議院本会議の審議で、社会党から賛成発言を行った岡良一は,のちに次のように書いています。

「この基本法の精神をひと口にいうと次の二つである。

一、日本の原子力の研究、開発、利用は平和目的にかぎる。

二、これをすすめていくには、あくまでも公開の原則にたち、かつ民主的、自主的に進める。

私もこの法律を作るために、ずいぶんあちこちの国の原子力に関する法律を調べたが、こんな堂々たる精神をうたった法律は、世界のどこにも見当らない。」

冷戦の下で,国連を中心とした原子力の国際管理が進展せず,核兵器の全面禁止条約が締結されない時代、日本は国内法による核の軍事利用規制を実に世界ではじめて行ったのです。

ただ1955年の段階で形作られた日本の原子力政策・行政の枠組みは、一方に原子力基本法を持ち、他方に日米原子力協定を持っており、しかもこの枠組みの二つの柱は相互に矛盾してしまっています。

原子力の軍事転用を禁じた原子力基本法の精神と、日本学術会議原子力三原則はしばしば日米原子力協定の下で軽視され、時として完全に無視されてきました。

原子力基本法二条一項に唱われた、『公開』、『民主』、『自主』の原子力三原則は、産業という先立つものの前に時に画餅がごとく軽んじられ、原子力という言葉の周辺に閉鎖的な体制が形成されていきました。

それはもはや存在を自己目的化した公共事業のようになり、その惰性によって公開的でも民主的でも自主的でもなくなっていったのです。(参照ここまで)

 

2011年3月11日、東日本大地震直後発生した、東京電力福島第1原子力発電所の事故は、1950年代に始まった日本の原子力事業をとりかえしのつかない災害に導いています。

そもそもわたしたちの原子力基本法は、先人が議論の果てに、非常に美しい覚悟を世界に掲げていました。

そしてこのたび付け足された二条二項に、そのプロポーション黄金比をくじかせないのは、今を生きる私やあなたの当事者意識にほかなりません。



不正受験:処罰感情の鳥黐

予備校生逮捕「1人でやった」 入試ネット投稿、偽計業務妨害容疑

「京都大など4大学の入試問題が試験時間中にインターネットの質問サイト「ヤフー知恵袋」に投稿された事件で、京都府警は3月3日、京大の問題を投稿したとして、偽計業務妨害の疑いで仙台市の男子予備校生(19)を逮捕した。」(iza)

 

刑法の233条をご覧ください。

 

第233条(信用毀損及び業務妨害

「虚偽の風説を流布し、又は偽計を用いて、人の信用を毀損し、又はその業務を妨害した者は、3年以下の懲役又は50万円以下の罰金に処す」

 

偽計業務妨害罪とは、偽計を用いて人の業務を妨害する罪のことです。

業務妨害というためには具体的に営業が阻害され、収益が減少したなどの実害を生ずる必要がありません。

ここでいう偽計とは、他人に錯誤を生じさせたり、その不知を利用する不正な策略のことです。

判例(大判大正5年6月26日)は、業務の意義を社会生活上の地位に基づいて継続して行う事務・事業と解し、本罪はこれを妨害するおそれのある行為によって成立し現実に妨害の結果を生ぜしめることは必要でないとしています。

つまり偽計業妨をいわゆる危険犯と理解する厳しい判断です。

(危険犯とは、 実際の法益侵害を必要としない犯罪のことです)

一方で学説上は、法の文言に忠実に侵害犯と解して、業務遂行に実際に支障が生じたことを要求する見解が支配的です。

もっともいずれにしろ検討を要するのは、どんな事態が生じたら業務を妨害したといえるかです。

 

多くいわれるのが、「妨害」というために業務遂行に外形的支障を生ずることが必要であるとする考えです(中森喜彦『刑法各論』〔第2版〕)。

そしてその説によれば、業務遂行自体に外形的支障はなく、単に個別的な業務における判断の誤りを生ぜしめ業務内容を実質的に不適切にするにすぎない場合は本罪の成立が否定されることになります。

そして実務上も、替え玉受験やカンニングがあった場合そのように運用されているともいわれています。

そもそも偽計業務妨害というともすれば成立しやすい罪の成立範囲は限定していく必要が法哲学上内在しています。

現実の裁判で偽計業務妨害罪の成立が肯定してしまった事案の大部分も、外形支障を生じたか、そのおそれがあったものです。

 

ただし外形的支障が生じているのか、単に内容的適正を阻害するにすぎないのかが微妙な場合もあり、近時の裁判例にも妨害対象として仮定的業務を明示するものもあります。

たとえば虚偽通報をして海上保安庁職員を出動させた事例では、無駄な業務をさせたことに加え「通報さえ存しなければ遂行されたはずの本来の行政事務」等の遂行を困難にした点を業務妨害の内容としています(横浜地裁 平成14年9月5日)。

また盗撮目的でATMを占拠した事例では、最高裁決定(平成19年7月2日)も、ATMを「客の利用に供して入出金や振込等をさせる業務」を妨げる可能性を本罪成立の根拠としています。

商品への針の混入行為について「安全点検業務」を強いたことが妨害であるとする裁判例(東京地裁 平成14年7月8日)にも、その背後に仮定的な通常業務の妨害という思想を見いだすことが可能です。

こうした見地からいうならば、替え玉受験やカンニングについてもそれがなければ合格した別の受験生を入学させるという業務の阻害をもって、「妨害した」ともいえそうです。

 

ただしお考えください。

「できたであろう」個別的業務を仮定し、これに対する妨害を論ずることには2つの問題があるのです。

第1にそもそもなされなかった業務が侵害の対象となりうるかです。

判例のように偽計業務妨害罪を危険犯と解する場合には、「なければできた」「可能性のある」業務を妨害するという二重の仮定を経て本罪の成立を認めることになります。

そのためその認定には、より一層の慎重さが求められます。

第2にそれらの点をクリアしても「できたであろう」個別的な業務が偽計業務妨害罪によって保護すべき「業務」としての資格を備えているかも検討を要します。

たとえば企業の営業活動は個別的業務の集合体にほかなりませんが、「できたであろう」その一部分に支障を生じたことをもって妨害とするならば、営業活動全般からみればその適正さをほんの少し損なうにすぎない妨害についても、偽計業務妨害罪の成立を認めることになってしまいます。

だとすれば、保護対象となる業務に社会生活上の活動としての要保護性、具体的には一定以上の規模・量などを要求し、一部分たる業務を保護対象とすることにある程度の制約を課すべきだともいえるでしょう。

実際替え玉受験やカンニングなど不正受験では、受験業務を全般的に混乱させて再試験が必要な事態を招いたような場合に偽計業務妨害罪が成立すると考えられています。

それはつまり妨害の対象として全体としての業務を念頭におき、罪の成立に一層の慎重さを司法が自認しているからに他なりません。(以上引用:刑法判例百選2各論(第6版) 別冊シ゛ュリスト190

 

不正受験をした子供はネットを絡めた手口の大胆さで社会的な処罰感情を集め、捕まればあっさりとその罪を認めました。

次は大人達が解釈次第で成立しやすくなる罪の取扱いを、自分たち自身のために全うに維持していく番かもしれません。(私見)

 

景品表示法:グルーポンと50年前の缶詰

ネット注文の「スカスカ」おせち、横浜市が調査開始

「インターネットの共同購入サイト運営会社「グルーポン・ジャパン」(東京)がサイトで販売したお節料理が「見本と違う」として苦情が相次いだ問題で、商品を提供した横浜市の飲食店経営会社に対し、市が事実関係の調査を始めたことが5日、分かった。消費者庁も、商品を実際より良く見せかける表示をしていたなどの景品表示法違反が確認されれば、厳正に対処する方針。」(iza)

景表法4条1項2号をご覧ください。

不当景品類及び不当表示防止法

第四条(不当な表示の禁止)

事業者は、自己の供給する商品又は役務の取引について、次の各号のいずれかに該当する表示をしてはならない。

二    商品又は役務の価格その他の取引条件について、実際のもの又は当該事業者と同種若しくは類似の商品若しくは役務を供給している他の事業者に係るものよりも取引の相手方に著しく有利であると一般消費者に誤認される表示であつて、不当に顧客を誘引し、一般消費者による自主的かつ合理的な選択を阻害するおそれがあると認められるもの」 

1960年に「にせ牛かん事件」と呼ばれる経済犯罪がありました。

事件のあらましはこうです。

(以下参照:Q&A 景品表示法―景品・表示規制の理論と実務

まず鯨肉のかん詰の中身を牛肉のようにみせかけ、4万個近くを無許可で製造販売していた悪質なモグリ業者が、東京都衛生局と神奈川衛生部に摘発されます。

摘発の端緒は都衛生局に"三幌のロースト大和煮"かん詰のなかにハエが入っていたとの届け出があったことから同局で調べたところ、ハエが入っていたかん詰は沼津市のK食品会社がつくっている"三幌のロースト大和煮"の商標 をまねたヤミ製品でした。(日本経済新聞1960・9・6朝刊)。

しかしここから問題は、さらに大きく展開します。

その中身が鯨肉のかん詰を牛かんとみせかけ,無許可で製造販売していた悪質なモグリ業者を摘発したところ、そのヤミかん詰がまねをした商標を付けた本物もまた中身が鯨肉とわかり、ヤミ、本物ともに食品衛生法の盲点をついていたことが明るみに出たのです。

さらに一般市販されている牛肉大和煮かん詰やコンビーフ類のほとんどが牛かんと見せかけながら実は中身の大部分または一部分が"馬肉"ということが中央区の業者の届け出からわかりました。

結局、当時市販されていた牛の絵のラベルの貼られたかん詰の多くが、鯨肉や馬肉であったことがはからずも明るみにでたのです。

しかし当時からこの種の欺瞞的な表示方法は氷山の一角であり、これに類した商法は多くあるのではないかと考えられていました。

それを反映して新しく法律 をつくり、食品の欺瞞表示を全般的に規制すべ きであるという声が出てきました。

これを受けて商品や役務の取引に関連する不当な景品類や表示で、顧客が誘引されることを防止するため制定されたのが、景品表示法という法律です。

 

ビジネスとはつまり、顧客を確保することにほかなりません。

それが新製品や新技術、良質で低廉な商品やサービスを開発することで顧客を確保しているうちは健全です。

しかし派手なコマーシャルや懸賞や値下げ価格の派手な演出のほうが、よほど早く顧客獲得の成果を上げることもある面でまた事実です。

そして低廉な商品やサービスを提供するということ自体は、自由主義経済上、全うな顧客誘引行為であるともいえます。

今回も少なくないビジネスマンが騒動の業者を擁護する側に回るのも、ビジネスにおいてどこからどこまでが正当な誘因なのかという点で、商人それぞれの感覚があるからです。

この点景品表示法では、誇大広告、虚偽表示といった不当表示や、過大な景品付販売を不当な誘因と判断しています。

そして景表法4条1項2号にいう”不当表示”とは、たとえば「普段の価格の半額で手に入るおせち」という広告品に、実は”普段の価格”そのものが実績として存在しなかったような場合です。

それは他の業者から購入するよりすごく得なのだと、消費者が誤認してしまう表示にほかならないからです。

フラッシュマーケティングというビジネスモデルは、クーポン仲介業者とサービス提供業者が一番最初に消費者から現金を受け取り、商品という対価は消費者が一番最後に受け取るという時間差の上に成り立っています。

もしそこに”消費者は価格の二重表示を紛れ込ませても最終的に気がつかない”という旨味を見るのなら、それは「消費者は鯨肉に牛肉のラベルを付ければ喜んで高値を払う」と考えた50年前の缶詰業界と何ら変わるところがありません。

「まさかこんな大事になるとは思わなかった」、それが当時の缶詰業者が吐露した矜恃の限界でもあり、もしかすると現代における一部のビジネスマンのそれでもある可能性が見えるのです。

 

自己と他者の連続性が見えない人が笑った

性描写漫画「一利もない」=規制条例の成立で-石原都知事

「東京都の石原慎太郎知事は17日の記者会見で、過激な性描写のある漫画などの販売を規制する都改正青少年健全育成条例が成立したことに関連し「世の中には変態ってやっぱりいる。気の毒な人で、DNAが狂っていて。やっぱりアブノーマル。幼い子の強姦(ごうかん)がストーリーとして描かれているものは、何の役にも立たないし、(百)害あって一利もない」と述べ、規制の必要性を改めて強調した。」(時事通信

憲法の99条をご覧ください。

第99条[憲法尊重擁護義務]

天皇又は摂政及び国務大臣,国会議員,裁判官その他の公務員は,この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ。」


戦争に負ける前の憲法には、その上諭に「茲ニ大憲ヲ制定シ朕カ率由スル所ヲ示シ朕カ後嗣及臣民及臣民ノ子孫タル者ヲシテ永遠ニ循行スル所ヲ知ラシム 」とありました。

また上諭の最後段には「朕カ在廷ノ大臣ハ朕カ為ニ此ノ憲法ヲ施行スルノ責ニ任スヘク朕カ現在及将来ノ臣民ハ此ノ憲法ニ対シ永遠ニ従順ノ義務ヲ負フヘシ」ともあったのです。

つまり旧憲法ではわたしたち国民ひとりひとりもまた、憲法に対する忠誠の義務を負うべしとされていました。

しかし現在の憲法99条は、国家の機関として国家の作用を担当し、直接または間接に憲法を運用する任にあたる天皇および公務員は、一般国民とは別の意味で憲法と関係する者であると規定しています。

そしてこれらの人たちの特別の憲法尊重・擁護義務を強調することで、憲法の最高法規性を確保しようとする条文です(清宮・憲法126頁)。

戦争に負けて私達が手にした新憲法99条において、国民が憲法尊重擁護義務の主体にあげられていないことには百里基地訴訟判例という有名な裁判所の判断があります。

憲法99条は、公務員の憲法遵守義務を規定しているが、それは本条が第10章最高法規の項の中に規定されていることからみても明らかなように、

憲法が国家の最高法規であることから、特に「天皇又は摂政及び国務大臣国会議員、裁判官」等、

日本国民の総意により又はその厳粛な信託に基づき、国家の象徴としてあるいは国政を担当する重責にある公務員として、憲法の運用に極めて密接な関係にある者に対し、憲法を尊重し擁護すべき旨を宣明したにすぎないものであって、

国政を担当する公務員以外の一般国民に対し、かかる義務を課したものではない。」(東高判昭56・7・7判時1004-3)

つまり現在の憲法は公務員に対する命令であるという解釈です。

わたしやあなたの暮らすここ日本は民主主義国家で、国民が選出した代表者が国政を執り行います。

そして実際の行政はおまわりさんを含めた公務員が担いますが、公務員であるおまわりさんには憲法99条により厳重な憲法尊重擁護義務が課せられています。

しかしどのような枷をかされようとも、権力はいつも国民を監視・支配しようと機能・肥大化を指向せざるをえません。

なぜならばわたしもあなたも、人間は一人残らず自らの手に権力という甘露を垂らされれば、それを濫用せずにはいられない存在だからです。

だからこそ近代民主主義思想は、いったん権力の理論的根源を市民の社会契約に求め、その代理行使を公務員達に時に拳銃とともに委託しました。

その一方で権力の増殖欲求を警戒して、権力以前に人権思想を確立させることで民主主義的な権力といえども個人・市民社会に介入し得ない領域を形作ろうとしてきたのです。

わたしやあなたの暮らす社会は、このような微妙なバランスの上で自由と平和を形作っています。

昨今の生活安全条例の頻発や東京都の改正青少年健全育成条例の制定は、自己と他者の連続性を理解しない思想の場所からやってきます。

そしてその場合条例がどのような正義感の発露であろうとも、憲法擁護義務の網が他ならぬ市民の手によって事実上その目を広げていくことになります。

わたしやあなたを死に場所に連れて行くのは、いつの時代もわたしやあなた自身の独善性です。

(参照:条解 日本国憲法 (学説・判例整理シリーズ) 生活安全条例とは何か―監視社会の先にあるもの )

 

 

食衛法が知っている、虚偽表示という伝統芸

イトーヨーカ堂元社員ら6人逮捕 現役の女社員も うなぎ輸入元偽装

「大手スーパー「イトーヨーカ堂」(東京)の元社員らが中国産うなぎの輸入元を別会社に偽装して転売したとされる事件で、神奈川県警は18日、食品衛生法違反(虚偽表示)の疑いで、同社元食品事業部海外担当マネジャー、石原荘太郎容疑者(58)=千葉市若葉区加曽利町=ら6人を逮捕した。県警によると、石原容疑者ら5人は容疑を否認しているが、残る1人は「詰め替えをしたのは間違いない」と認めている。」


食品衛生法の第72条をご覧ください。

 

第七十二条 

第十一条第二項若しくは第三項、第十六条、第十九条第二項、第二十条又は第五十二条第一項の規定に違反した者は、二年以下の懲役又は二百万円以下の 罰金に処する。

② 前項の罪を犯した者には、情状により懲役及び罰金を併科することができる。


食品衛生法による罰則は、行政罰、つまり行政上の目的のためにする命令や禁止に対する違反に対し制裁として科せられる罰の一種です。

対置概念としては殺人罪等の法益侵害行為そのものの反社会性、犯人の悪性への制裁として科せられる罪である刑事罰があります。

ただし、現在の学者の通説はこの刑事犯と行政犯のあいだに本質的な差を認めず、行政刑罰にも、本来は刑事犯についての定めである刑法の適用があるものとしています。

よって通説によれば行政刑罰についても刑法第38条第1項の適用があることとなり、罰を科すためには行為者に故意があったことを必要とすることになります。

例えば、発がん性のある添加物が加わったうなぎを販売した者を食品衛生法第20条虚偽表示禁止違反として、第72条により2年以下の懲役又は200万円以下の罰金に処するためには、その販売者に故意のあったことを要するわけです。

つまり食品衛生法上の罰則を課すためのハードルは比較的高めに作られており、捜査機関が逮捕にいたるまでには故意の認定というハードルをクリアしていることを意味しています。

実際の裁判例でも、食品衛生法の罰則適用には故意を要件とするという、通則の立場に立った昭和37年5月31日の広島高等裁判所判例があります。

 

食品衛生法は、罪の重さを4ランクに分けています。

平成15年の改正前まで、虚偽誇大な広告等の禁止条項は6ヶ月以下の懲役、30万円以下の罰金にすぎませんでしたが、改正により2年以下の懲役、200万円以下の罰金という上から二番目に重い罰則に引き上げられています。

食品業界において虚偽誇大表示はあまりに古くから多く発生しつづけてきた、終わらない犯罪だからです。

さらに新72条ではこれを法人が主体で行った場合、1億円以下の罰金を課すという特別ブレーキまで用意しています。

 

そもそも食品、添加物等に関する適正な表示は、消費者や関係営業者に対し、その食品等に関する的確な情報を与え、これらの者の合理的な認識や選択に資するために不可欠のものです。

さらには、行政庁の迅速かつ効果的な取締りのためにも欠くことができません。

たとえば、期限表示や製造者の氏名及びその住所などの表示は、消費者が購入する際の選択の指標となるとともに、万が一事故が生じた場合には、その責任の所在の追及あるいは製品回収等の行政措置を迅速かつ的確に行うための手がかりともなるものです。

表示の虚偽に用意されている罰が重く醸造されてきたのは、口に入れるものを扱う業者へのウォーニングと、それが繰り返し軽視されてきた歴史のなせる業です。

 

わたしやあなたの暮らす社会に、人間の健康を売り上げより軽視する業界慣習が残っているのなら、それもまたこの時代を生きるわたしたちの宿題です。

わたしたちにはこれからも法が現実によりアジャストするよう働きかけ、その伝統芸をひとつひとつつぶしていく責任が任されています。

(以上参照:新訂 早わかり食品衛生法 第3版 (食品衛生法逐条解説)